学園祖中村ハル先生

学園祖中村ハル物語

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教育者の道をたどって

中村学園を築いた学園祖中村ハル先生は生涯を教育に捧げた努力の方と表現できましょう。
ハル先生の尊い人生訓、自伝の 「努力の上に花が咲く」を拝見すると、先生の歩んでこられた道のりがすべて努力の賜であると思えます。

現在の中村学園の礎は、ハル先生の幼少時代の経験から培われた強い信念の中に見ることができます。

「人間というものは苦難の道に立たされると、私どもの当時の家庭のように家族全員が一致団結するものです。 私のような小学校に通いはじめたばかりの幼い子供ですら、こめつき(※玄米を白米にする)をして、 家族が何とかやって行ける力になるものです。
甘やかしては我がままな子供しか育ちません。決して強い人間には成長せぬものとつくづく思います。」

また、ハル先生は教鞭を執るようになってからも、 どのような境遇の中であっても、 常に前向きに前進していたことがこの言葉からうかがえます。

学園祖 中村ハル先生

学園祖 中村ハル先生

自伝「努力の上に花が咲く」

自伝「努力の上に花が咲く」

直方小学校訓学時代の先生(左端)1902年(明治35年)

直方小学校訓学時代の先生(左端)
1902年(明治35年)

「当時は男子師範学校を本校、附属小学校はもちろん附属と称していましたが、その本校の教諭は当然男子ばかり。付属の方に女訓導として私一人。
しかも年齢わずか22歳ですから、肩身せまく心細いものでした。このような優れた先生方の中に入れられて第一に感じたことは、自分の未熟さ、とりわけ教育に関する学識の不足、技術の劣ることであります。
ここで私も大いに奮起いたしまして 「よし、女性なりとも大いに勉強して男子訓導以上の力を持つようになってみせるぞ」と、朝は必ず5時には起き、登校前2時間は教育に関する書物を勉強いたしました。夜はたいてい12時か午前1時までの勉強です。
このようにして、教育に関する書物をほとんど読みつくし、各教科の指導書、参考書などすべて目をとおして自信を持ち、 教生の指導に当たられるよう若い意気で頑張ったものです。私がその後の生き方として一つのことに取り組んだら徹底的に追究する習慣というより、性格を備えたとすれば、この青春の時代、 すなわち附属小学校時代のはげしい研究修業で培われたといえます。」

まさに、「努力の上に花が咲く」を実践していたハル先生なのです。