学園祖中村ハル先生

学園祖中村ハル物語

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努力の上に花が咲く

ハル先生の教育に対する欲望と情熱は膨らむばかりでした。「それまで栄養短大の実績をみてきた私には、学問研究の深さにおいてとても短大程度では満足することはできません。 やはり四年制の大学でなければ、高度の研究は無理であるとの考えを持つようになってきました。」

昭和38年ごろハル先生は新大学の構想を練り始める事になります。 当時の文部省(現文部科学省)では、1学部に2学科は設けなくてはいけないと指導されていました。 学部は家政学部とし、1学科は食物栄養学科は当然でしたが、もう1学科は児童学科しかないと考えられたのです。 ハル先生が教育者として最後に託すのは、児童教育しかないとの結論に達したのです。 そして昭和40年5月17日、大学開学式ならびに第一期新築校舎の落成式を執り行ないました。

中村学園大学校舎第2期工事落成式 1967年(昭和42年)

中村学園大学校舎第2期工事落成式
1967年(昭和42年)

藍綬褒章受賞祝賀会での中村ハル 1963年(昭和38年)

藍綬褒章受賞祝賀会での中村ハル
1963年(昭和38年)

中村学園女子高等学校 授業風景 1963年(昭和38年)頃

「努力の上に花が咲く」

「昭和38年11月、思いもかけず私は藍綬褒章受章の栄に浴しました。教育功労者としての受章でございました。 私ごときものがこのような栄誉に与かるとはと、心から感激いたしました。 受章のため上京して天皇皇后両陛下に拝謁したときは、私のような明治生まれの者にとっては膝頭がふるえるほどの興奮をおぼえたものです。 昭和40年11月、今度は勲三等瑞宝章受章の栄に浴しました。
 それにしても、私ごときものが二度も受章の栄に浴し、教育功労者として身に余る栄誉を担ったことは、これはひとえに私をして今日まで陰に陽に助け、指導し、協力され、後援された多数の方々の賜ものであって、何とも感謝の言葉もないほどです。 私自身、今後とも長生きしてなおいっそう社会のため、わが国教育のためにつくしたいと決意を新たにした次第であります。」

ハル先生は教え子から何か色紙を書いてくれとよくたのまれたそうです。 「私はそのときたいてい「努力の上に花が咲く」と書くことにしております。 私の一生が努力の連続でありましたし、その努力が報いられて今日の私があると思うからであります。 そして、そのような生き方がまた、人生の一つの指針にもなればと思うからでもあります。」

昭和46年9月、中村ハル先生は偉大なる足跡を遺して87歳の生涯を閉じられました。 中村ハル先生は「頭より、何より人物をつくることが教育の基本である」との信念に基づき、生涯を教育に捧げた努力の方でした。 ハル先生の尊い人生訓、自伝の「努力の上に花が咲く」をひも解いてみると、先生の歩んでこられた道のりすべて努力の道である事がわかるでしょう。

― 完 ―