中村ハル先生の生涯
西暦 (和暦) |
満 年齢 |
事項 | |
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1884年 (明治17年) |
- | 6月1日 | 福岡県 早良郡西新町(現在福岡市早良区)の農業中村徳右衛門、サト夫婦の次女として生まれる |
1888年 (明治21年) |
4歳 | 遊んでいる時股関節脱臼 | |
1890年 (明治23年) |
5歳 | 兄の監視役として一年早く尋常小学校に入学 | |
1891年 (明治24年) |
7歳 | 母他界 続いて祖母も他界 | |
1894年 (明治27年) |
9歳 | 3月 | 尋常小学校を優等で卒業。来賓の前で「孝心なる猿の話」と題して講演 |
4月 | 高等小学校に進学 | ||
1898年 (明治31年) |
13歳 | 3月 | 西新尋常高等小学校を首席で卒業 |
4月 | 師範学校付属補習科に入学 | ||
1899年 (明治32年) |
14歳 | 4月 | 村長の勧めにより師範学校入学 |
1902年 (明治35年) |
17歳 | 3月 | 県立師範学校卒業 |
4月 | 福岡県鞍手郡直方高等小学校訓導 | ||
1905年 (明治38年) |
21歳 | 9月 | 福岡県早良郡草ヶ江高等小学校訓導 |
1907年 (明治40年) |
22歳 | 3月 | 福岡県師範学校付属小学校訓導 |
1909年 (明治42年) |
25歳 | 12月24日 | 弟関次郎病に倒る |
1910年 (明治43年) |
26歳 | 6月 | 福岡県早良郡田隈小学校訓導 |
1914年 (大正3年) |
29歳 | 1月 | 福岡県早良郡有田高等小学校訓導 |
1920年 (大正9年) |
35歳 | 1月 | 福岡県三井郡松崎実業女学校教諭(家庭科主任) |
1921年 (大正10年) |
36歳 | 4月 | 弟関次郎沖縄で他界。 横浜市岡野尋常高等小学校家庭科訓導 |
1922年 (大正11年) |
38歳 | 9月 | 父病没 |
1923年 (大正12年) |
39歳 | 9月 | 横浜で関東大震災に遭う |
1925年 (大正14年) |
40歳 | 4月 | 神戸市兵庫尋常高等小学校訓導 |
1926年 (大正15年) |
41歳 | 神戸市明親女子高等小学校訓導 | |
1927年 (昭和2年) |
42歳 | 『学校を生活の場所としたる家事教育』出版 | |
1929年 (昭和4年) |
45歳 | 10月 | 兵庫県視学委員拝命 |
1930年 (昭和5年) |
45歳 | 4月 | 郷里福岡に帰り九州高等女学校に赴任 |
1932年 (昭和7年) |
48歳 | 『郷土に立脚したる家事科の施設及指導の実際』出版 | |
1933年 (昭和8年) |
49歳 | 11月 | 教育功労賞を受く |
1940年 (昭和15年) |
56歳 | 11月 | 文部大臣賞を受く |
1948年 (昭和23年) |
64歳 | 10月 | 九州高等女学校退職願提出 |
1949年 (昭和24年) |
64歳 | 4月 | 中村割烹女学院開校 院長に就任 |
1951年 (昭和26年) |
67歳 | 福岡市地行西町に割烹女学院新校舎完成9月に移転 | |
1953年 (昭和28年) |
69歳 | 12月 | 学校法人中村学園設立認可 理事長に就任 |
1954年 (昭和29年) |
69歳 | 4月 | 福岡高等栄養学校開校 同校長に就任 |
1957年 (昭和32年) |
72歳 | 4月 | 中村栄養短期大学開学 学長に就任 |
1959年 (昭和34年) |
75歳 | 6月 | 全九州料理学校協会創立 会長に就任 |
1960年 (昭和35年) |
75歳 | 4月 | 中村学園女子高等学校開校 校長に就任 |
76歳 | 11月 | 私学功労者として福岡県知事より表彰 | |
1961年 (昭和36年) |
76歳 | 4月 | 福岡県日の丸会副会長に就任 |
1963年 (昭和38年) |
79歳 | 11月 | 藍綬褒章受章 |
1965年 (昭和40年) |
80歳 | 4月 | 中村学園大学開学 学長に就任 |
全国料理学校協会副会長に就任 | |||
81歳 | 11月 | 勲三等瑞宝章受章 | |
1967年 (昭和42年) |
82歳 | 4月 | 中村学園大学付属あさひ幼稚園開園 園長に就任 |
1968年 (昭和43年) |
84歳 | 全国料理学校協会 会長に就任 | |
1971年 (昭和46年) |
86歳 | 5月 | 米寿祝賀会が開催される |
87歳 | 9月2日 | 87歳の生涯を閉じる 従四位勲三等宝冠章追叙 |