受け継がれてきた精神

SPIRIT 01
「努力の上に花が咲く」
ハル先生の遺訓です。
ハル先生は教え子から何か色紙を書いてほしいとよく頼まれたそうで、
その際には「努力の上に花が咲く」と書くことにしておられたそうです。
ハル先生は、自身の人生を振り返った上でこの言葉を選ばれており、「私の一生が努力の連続でありましたし、その努力が報いられて今日の私があると思うからであります。 そして、そのような生き方がまた、人生の一つの指針になればと思うからでもあります。」と言葉を残されています。
卒業生の多くがこの言葉を胸に刻み、ぞれぞれの道で努力しながら歩まれていることでしょう。
ハル先生は教え子から何か色紙を書いてほしいとよく頼まれたそうで、
その際には「努力の上に花が咲く」と書くことにしておられたそうです。
ハル先生は、自身の人生を振り返った上でこの言葉を選ばれており、「私の一生が努力の連続でありましたし、その努力が報いられて今日の私があると思うからであります。 そして、そのような生き方がまた、人生の一つの指針になればと思うからでもあります。」と言葉を残されています。
卒業生の多くがこの言葉を胸に刻み、ぞれぞれの道で努力しながら歩まれていることでしょう。
中村ハル物語第六部
SPIRIT 02
「人間は頭の良し悪しや
学力の
優劣よりも何よりも
人物が
出来ていることが基本である」
学力の
優劣よりも何よりも
人物が
出来ていることが基本である」
ハル先生の教育の信念です。
例えば、現在の中村学園女子高等学校をつくるきっかけとなったのが、 当時の短大の女子学生の掃除の仕方や、 教員の挨拶がなっていない様子というエピソードがあります。 「進学のことや、知育のみで終わって、徳育はほったらかしになっているに違いない。」 とハル先生は考え、それでは自分で高等学校をつくって、 理想的な教育をやってみようと決意されて今の女子高等学校が創設されました。
このようにハル先生は、何よりも人物が出来ていることを 大切にした教育を続けられたのです。
例えば、現在の中村学園女子高等学校をつくるきっかけとなったのが、 当時の短大の女子学生の掃除の仕方や、 教員の挨拶がなっていない様子というエピソードがあります。 「進学のことや、知育のみで終わって、徳育はほったらかしになっているに違いない。」 とハル先生は考え、それでは自分で高等学校をつくって、 理想的な教育をやってみようと決意されて今の女子高等学校が創設されました。
このようにハル先生は、何よりも人物が出来ていることを 大切にした教育を続けられたのです。
中村ハル物語第五部
SPIRIT 03
「感恩の情にとむ」
天地自然の恵みに対する恩、国の恩、君の恩、師の恩、父母・兄弟・姉妹の恩・友の恩などに感謝して生きていくことです。
ハル先生は、関東大震災に見舞われた際、間一髪のところで助かり、運命の岐れ目を感じられたそうです。それは病死された弟の関次郎さんの霊魂のご加護のおかげで助けられたと考えられ、それ以来、何か事あるごとに見守っていてくれているという信念を持たれるようになりました。
実は、関次郎さんは結核で長い間療養されており、ハル先生は収入の大部分をその治療費につぎこんでいらっしゃいました。死期を悟った関次郎さんは、「姉さんの生涯を守り抜き、せめてものご恩報じをいたします」とハル先生へ手紙を送られていました。このように「恩を報じる」ということを常に心に留められ、感謝の気持ちを持って生きることを大切にされていました。
ハル先生は、関東大震災に見舞われた際、間一髪のところで助かり、運命の岐れ目を感じられたそうです。それは病死された弟の関次郎さんの霊魂のご加護のおかげで助けられたと考えられ、それ以来、何か事あるごとに見守っていてくれているという信念を持たれるようになりました。
実は、関次郎さんは結核で長い間療養されており、ハル先生は収入の大部分をその治療費につぎこんでいらっしゃいました。死期を悟った関次郎さんは、「姉さんの生涯を守り抜き、せめてものご恩報じをいたします」とハル先生へ手紙を送られていました。このように「恩を報じる」ということを常に心に留められ、感謝の気持ちを持って生きることを大切にされていました。
中村ハル自伝~生命を守ってくれた弟の霊魂~
SPIRIT 04
「日本人としての自覚」
昭和三十七年前後、ハル先生は日本の教育のあり方に思い悩まれていらっしゃいました。ちょうどその頃、福岡県日の丸会副会長であったこともあり、国旗日の丸についての研究もされておりました。そのような中から、日本人と日の丸~日の丸の表現する美しさ~の中に、理想とする日本人としての人間形成目標が示されていると感得されました。こうして、日本人としての自覚をもち、徳性涵養につとめることを掲げられました。