中村ハル物語
第二部 料理研究に燃やす執念
ハル先生にとっての転機は、給料の大部分をつぎこみ病気療養の面倒を見ていた最愛の弟関次郎さんの他界と共に訪れました。それまで福岡県内の多くの学校で教鞭を取り優秀な生徒たちを送り出されてきた先生ですが、家庭科教諭と言う本来専門ではない分野に直面し、「何とかこの方面の勉強もせねばと、かねがね思ってはいましたが、田舎に引っ込んでいては、それも思うに任せない状態です。東京方面に出たいと思っていた矢先に、弟の死が一つの転機を作ってくれたのでした。」
ハル先生は悲しみを乗り越え生涯を教育の道に捧げる決心をされたのです。単身神奈川県横浜市の岡野尋常高等小学校に赴任されたハル先生は料理に対しても学ぶ努力を惜しみませんでした。
「休日には東京の料理店で味の良いところを食べ歩きしたり、腕の達者なところに入り込ませてもらい料理長や料理人の腕を盗み歩いたものです。盗み歩くというと、いかにも聞こえは悪いのですが、鮨でも、天ぷらでも、何でも、東京一との評判をとっている店に入り込むことは、料理の研究を志す者にとって非常に参考になることが多いのです。鮨ひとつにしても、一流の鮨屋の主人になると、幾十年もの間、鮨だけに熱中して苦労と工夫と研究を積んできておられます。これを見せてもらい、いろいろと指導を受けると、その道の名人の幾十年にわたる成果が一度に吸収できるわけでまことにもって好都合なのです。」
また、東京のある一流鮨屋では、「私は横浜のある高等小学校の先生で、決して鮨屋を始める者ではありません。家庭科の教育の参考にするに過ぎないのですから、是非お宅の鮨のつけ方を拝見させていただきたいのです。」
ハル先生の探究心は留まるところを知らなかったのです。
「料理の研究を志す者は、先輩の人々が研究し遺された美点を謙虚に学びとり、さらにこれに満足しないで自分でもなおそのうえに風味の上から、あるいは、栄養の点から、さらに考案を重ねてより以上のものを創作していく心掛けが、肝要と思います。」
ここに一生を教育の道に捧げ、優れた家庭科の教員を志さしコツコツと努力を重ねて来られたハル先生のお姿を見ることが出来るのです。