中村学園大学・中村学園大学短期大学部

和俗童子訓 原著に忠実なテキスト

巻之一 総論上 巻之二 総論下 巻之三 随年教法 巻之三 随年教法読書法 巻之四 手習法 巻之五 教女子法

巻第一 総論上

わかき時は、はかなくてすぎ、今老てしなざれば、ぬす人とする、ひじりの御いましめ、のがれがたけれど、ことしすでに八そじにいたりて、つみをくはへざるとしにもなりぬれば、かかるふようなるよしなしごと云いだせるつみをも、ねがはくば、世の人これをゆるし給へ。としのつもりに、世の中のありさま、おほく見ききして、とかく思ひしりゆくにつけて、かんがへ見るに、およそ人は、よき事もあしき事も、いざしらざるいとけなき時より、ならひなれぬれば、まづ入し事、内にあるじとして、すでに其性となりては、後に又、よき事、あしき事を見ききしても、うつりかたければ、いとけなき時より、早くよき人にちかづけ、よき道を、をしゆべき事にこそあれ。墨子が、白き糸のそまるをかなしみけるも、むべなるかな。此ゆへに、郷里の児童の輩を、はやくさとさんため、いささか、むかしきける所を、つたなき筆にまかせて、しるし侍る。かかるいやしきふみつくり、ひが事きこえんは、いとはづべけれど、高さにのぼるには、必ひききよりすることはりあれば、もしくは、いまだ学ばさる幼稚の、小補にもなりなんか、といふ事しかり。

およそ、人となれるものは、皆天地の徳をうけ、心に仁・義・礼・智・信の五性をむまれつきたれば、其性のままにしたがへば、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五倫の道、行はる。是人の、万物にすぐれてたうとき処なり。ここを以て、人は万物の霊、と云へるなるべし。霊とは、万物にすぐれて明らかなる、智あるを云へり。されども、食にあき、衣をあたたかにき、をり所をやすくするのみにて、人倫のおしえなければ、人の道をしらず、禽獣にちかくして、万物の霊と云へるしるしなし。いにしへの聖人、これをうれひ、師をたて、学び所をたてて、天下の人に、いとけなき時より、道ををしえ給ひしかば、人の道たちて、禽獣にちかき事をまぬがる。およそ人の小なるわざも、皆師なく、をし(教)えなくしては、みづからはなしがたし。いはんや、人の大なる道は、いにしへの、さばかり賢き人といへど、まなばずして、みづからはしりがたくて、皆、聖人を師としてまなべり。今の人、いかでかをしえなくして、ひとりしるべきや。聖人は・人の至り、万世の師なり。ぎれば、人は、聖人のをしえなくては、人の道をしりがたし。ここを以、人となる者は、必聖人の道を、学ばずんばあるべからず。其おしえは、予するを先とす。予すとは、かねてよりといふ意。小児の、いまだ悪にうつらざる先に、かねて、はやくをしゆるを云う。はやくをしえずして、あしき事にそみならひて後は、おしえても、善にうつらず。いましめても、悪をやめがたし。古人は、小児の、はじめてよく食し、よく言時よりはやくおしえしと也。

富貴の家には、よき人をゑらびて、早く其子につくべし。あしき人に、なれそむべからず。貧家の子も、はやくよき友にまじはらしめ、あしき事にならはしむべからず、凡小児ははやくおしゆると、左右の人をゑらぶと、是、古人の子をそだつる良法なり。必是を法とすべし。

およそ小児をそだつるには、はじめて生れたる時、乳母を求むるに、必温和にしてつつしみ、まめやかに、ことばすくなき者をゑらぶべし。乳母の外、つきしたがふ者をゑらぶも、大やうかくの如くなるべし。はじめていひをくひ、ものをいひ、人のおもてを見て、よろこび、いかるいろをしる時より、常に其の事にしたがひて、時々をしゆれば、ややおとなしくなりて、いましむる事やすし。ゆへに、いとけなき時より、はやくをしゆべし。もし、をしえいましむる事をそくして、あしき事をおほく見ならひ、ききならひ、くせになり、ひが事いできて後、をしえいましむれども、はじめより心にそみ入りたるあしき事、心の内に、はやくあるじとなりぬれば、あらためて善にうつる事かたし。たとへば、小児の手習するに、はじめ風躰あしき手本をならへば、後によき手をならひても、うつりがたく、一生改まりがたきが如し。第一、いつはれる事、次にきずいにて、ほしいままなる事を、はやくいましめて、かならずいつはりほしいままなる事をゆるすべからず。やんごとなき大家の子は、ことにはやく、いましめをしえざれば、年長じては、いきおひつよく、くらひ高くして、いさめがたし。凡小児のあしくなりぬるは、父母、乳母、かしづきなるる人の、をしえの道しらずして、其あしき事をゆるし、したがひほめて、其子の本性をそこなふゆへなり。しばらく、なくこえをやめんとて、あざむきすかして、姑息の愛をなす。其事まことならざれば、すなはち是、偽を教ゆるなり。又、たはぶれに、おそろしき事どもを云きかせ、よりよりおどしいるれば、後におく病のくせとなる。武士の子は、ことに、是をいましむべし。ゆうれい、ばけもの、あやしく、まことなき物がたり、必いましめて、きかしむべからず。或小児の気にさかひたる者をば、理をまげて、小児の非をそだて、そらうちなどすれば、驕慢の心いでくるものなり。小児をもてあそびて、我心をなぐさめんがためにに様々のことばにて、そびやかし、くるしめ、いかり、あらそはしめて、ひがみまがれる心をつけ、むさぼりねたむ、心ざしをひきいだす。しかのみならず、父母の愛すぐる故、あまえて父母をおそれず、兄をないがしろにし、家人をくるしめ、よろづほしきままにして、人をあなどる。いましむべき事を、かへつてすすめ、とがむべき事を、かへりてわらひよろこび、いろいろ、あしき事どもを見さかせ、いひならはせ、しならはせて、やうやく年長じ、ちゑいでくる時にいたりて、にはかに、はじめていましむれども、其あしきならはし、年と共に長じ、ひさしくならひそみて、本性とひとしくなりにたれば、いさめを用ひず。いとけなき時に、をしえなく、年長じてにはかに、いさむれども、したがはざれば、本性あしくうまれつきたるとのみ思ふ事、いとおろかに、まどひのふかき事ならずや。

凡小児をそだつるに、初生より愛を過すべからず。愛すぐれば、かへりて、児をそこなふ。衣服をあつくし、乳食にあかしむれば、必病すくなし。富貴の家の子は、病おほくして身よはく、貧賎の家の子は、病すくなくして身つよきを以、其故をしるべし。小児の初生には、父母のふるき衣を改めぬひて、きせしむべし。きぬの新しくして温なるは、熱を生じて病となる。古語に、「凡小児をやすからしむるには、三分の餌と寒とをおぶべし」、といへり。三分とは、十の内三分を云。此こころは、すこしはうやし、少はひやすがよし、となり。最古人、小児をたもつの良法也。世俗これをしらず、小児に乳食を、おほくおたへてあかしめ、甘き物、くだ物を、多くくはしむる故に、気ふさがりて、必脾胃をやぶり、病を生ず。小児の不慮に死する者は、多くはこれによれり。又、衣をあつくして、あたため過せば、熱を生じ、元気をもらすゆへ、筋骨ゆるまりて、身よはし。皆是病を生ずるの本也。からも、やまとも、昔より、童子の衣のわきをあくるは、童子は気さかんにして、熱おほきゆへ、熱をもらさんがため也。是を以、小児は、あたためすごすがあしき事をしるべし。天気よき時は、おりおり外にいだして風・日にあたらしむべし。かくのごとくすれば、はだえ堅く、血気づよく成て、風寒に感ぜず。風・日にあたらざれば、はだへもろくして、風寒に感じやすく、わづらひおほし。小児のやしなひの法を、かしづきそだつるものに、よく云きかせ、をしえて心得しむべし。

小児をそだつるには、さきにも聞こえつるやうに、先乳母、かしづきしたがふ者を、ゑらぶべし。心おだやかに、邪なく、つつしみて言すくなきをよしとす。わるがしこく、くちきき、いつはりをいひ、ことばおほく、心邪にしてひがみ、気たけく、ほしゐままにふるまひ、酩酊をこのむをあししとす。凡小児は智なし、心もことばも、万のふるまひも、皆其かしづきしたがふ者を、見ならひ、聞ならひて、かれに似するものなり。乳母、かしづぎしたがふ人、あしければ、そだつる子、それに似てあしくなる。故に、其人をよくゑらぶべし。貧賎なる家には、人をゑらぶ事かたしといへど、此心得あるべし。いはんや、位たかく禄とめる家をや。

凡小児をそだつるには、もはら義方のをしえをなすべし。姑息の愛をなすべからず。義方のをしえとは、義理のただしき事を以、小児の、あしき事をいましむるを云。是必後の福となる。姑息とは、婦人の小児をそだつるは、愛にすぎて、小児の心にしたがひ、気にあふを云。是必後のわざはひとなる。いとけなき時より、はやく気ずいをおさへて、私欲をゆるすべからず。愛をすごせば驕出来、其子のためわざはひとなる。

凡子ををしゆるには、父母厳にきびしければ、子たる者、おそれつつしみて、おやの教えを聞てそむかず。ここを以、孝の道行はる。父母やはらかにして、厳ならず、愛すぐれば、子たる者、父母をおそれずして、教行れず、いましめを守らず、ここを以、父母をあなどりて、孝の道たたず。婦人、又はおろかなる人は、子をそだつる道をしらで、つねに子をおごらしめ、きずいなるをいましめざる故、其をごり、年の長ずるにしたがひて、いよいよます。凡夫は、心くらくして子にまよひ、愛におぼれて其子のあしき事をしらず。古歌に、「人のをやの、心はやみにあらねども、子を思ふ道にまよひぬるかな」、とよめり。もろこしの諺に、「人、其子のあしきをしる事なし」、といへるが如し。姑息の愛すぐれば、たとひあしき事を見つけても、ゆるしていましめず。およそ人のおやとなる者は、わが子にまさるたからなしとおもへど、其子のあしき方にうつりてのちは、身をうしなふ事をも、かねてわきまへず、居ながら其子の悪におち入を見れども、わがをしえなくして、あしくなりたる事をばしらで、只、子の幸なきとのみ思へり。又、其母は、子のあしき事を、父にしらさず、常に子のあやまちをおほひかくすゆへ、父は其子のあしきをしらで、いましめざれば、悪つゐに長じて、一生不肖の子となり、或家と身とをたもたず。あさましき事ならずや。程子の母の曰、「子の不肖なるゆへは、母其あやまちをおほひて、父しらざるによれり」、といへるもむべなり。

小児の時より早く父母兄長につかへ、賓客に対して礼をつとめ、読書・手習・芸能をつとめまなびて、あしき方にうつるべきいとまなく、苦労さすべし。はかなきあそびにひまをついやさしめて、ならはしあしくすべからず。衣服、飲食、器物、居処、僕従にいたるまで、其家のくらゐよりまどしく、ばうそくにして、もてなしうすく、心ままならざるがよし。いとけなき時、艱難にならへば、年たけて難苦にたへやすく、忠孝のつとめをくるしまず、病すくたく、おごりなくして、放逸ならず。よく家をたもちて、一生の間さいはいとなり、後の楽多し。もしは不意の変にあひ、貧窮にいたり、或戦場に出ても身の苦みなし。かくの如く、子をそだつるは、誠によく子を愛する也。又、幼少よりやしなひゆたかにして、もてなしあつく、心ままにして安楽なれば、おごりにならひ、私欲おほくして、病多く、艱難にたえず。父母につかえ、君につかふるに、つとめをくるしみて、忠孝も行ひがたく、学問・芸能のつとめなりがたし。もし変にあへば、苦しみにたえず、陣中に久しく居ては、艱苦をこらへがたくして、病をうけ、戦場にのぞみては、心に武勇ありても、其身やはらかにして、せめたたかひの、はげしきはたらき、なりがたく、人におくれて、功名をもなしがたし。又、男子、只一人あれば、きはめて愛重すべし。愛重するの道は、をしえいましめて、其子に苦労をさせて、後のためよく、無病にてわざはひなきように、はかるべし。姑息の愛をなして、其子をそこなふは、まことの愛をしらざる也。凡人は、わかき時、艱難苦労をして、忠孝をつとめ、学問をはげまし、芸能を学ぶべし。かくの如くすれば、必人にまさりて、名をあげ身をたてて後の楽多し。わかき時、安楽にて、なす事なく、艱苦をへざれば、後年にいたりて人に及ばず、又、後の楽なし。

幼き時より、心ことばに忠信を主として、偽りなからしむべし。もし人をあざむき、偽りをいはば、きびしくいましむべし。こなたよりも、幼子をあざむきて、いつはりを教ゆべからず。こなたよりいつはれば、小児、是にならふものなり。かりそめにも、いつはりを云は、人にあらず、と思ふべし。心にいつはりとしりながら、心をあざむくは其罪いよいよふかし。又、人と約したる事あらば、必其約をたがへざるべし。約をたがへては、いつはりとなり、信を失なへば、人にあらず。もし後に信を守りがたき事は、はじめより約すべからず。又、小児には、利欲をおしえしらしむべからず。よろづにさとくとも、偽りて、只欲ふかく、人の物をむさぼるは、小人のわざなれば、幼時より、はやく是を戒むべし。ゆるすべからず。

小児の時より、心もちやはらかに、人をいつくしみ、なさけありて、人をくるしめ、あなどらず、つねに善をこのみ、人を愛し、仁を行なふを以志とすべし。人わが心にかなはざるとて、顔をはげしくし、ことばをあらくして、人をいかりのるべからず。小児、もし不仁にして、人をくるしめ、あなどりて、情なくば、はやくいましむべし。人に対して温和なれども、其身正しければ、幼きとて人あなどらず。

凡小児のおしえ(教)は、はやくすべし。しかるに、凡俗の知なき人は、小児をはやくおしゆれば、気くじけてあしく、只、其心にまかせてをくべし、後に知恵出くれば、ひとりよくなるといふ。是必、おろかなる人のいふ事なり。此言大なる妨たり。古人は、小児のはじめてよく食し、ものいふ時より、はやくおしゆ。おそくおしゆれば、あしき事を久しく見ききて、先入の言、心の内にはやく主となりては、後によき事ををしゆれども、うつらず。故に、はやくをしゆれば人やすし。つねによき事を見せしめ、聞かしめて、善事にそみならはしむべし。をのづから善にすすみやすし。あしき事も、すこしなる時、はやくいましむれば入やすし。悪長じては、去がたし。古語に、「両葉去らざれば、将に斧柯を用んとす」。といへるがことし。婦人及無学の俗人は、小児を愛する道をしらず、姑息のみにして、ただうまき物を多くくはせ、よききぬ(衣)をあたたかにきせ、ほしゐままにそだつるをのみ、其子を愛するとおもへり。是人の子をそこなふわざなる事をしらず。今の世にも、其父、礼をこのみて、其子のいとけなき時より、しつけををしえ、和礼をならはする人の子は、必其子の作法よく、立居ふるまひ、人のまじはり、ふつづかならず、老にいたるまで、威儀よし。是其父、早くをしえしちからなり。善を早くをしえ行はしむるも、其しるし又かくの如くなるべし。

いとけなき時より、必まづ、其このむわざをゑらぶべし。このむ所、尤大事也。婬欲のたはふれをこのみ、淫楽などをこのむ事、又、ついえ多きあそびを、まづはやくいましむべし。これをこのめば、其心必放逸になる。いとけなきよりこのめば、そのこころぐせとなり、一生、其このみやまざるものなり。いかにいとけなくして、いまだ心にわきまへなくとも、又、富貴の家にむまれ、万の事、心にかなへりとも、道にそむき、人に害あり。物をくるしめ、財をついやすたはぶれ、あそびの、はかなきわざをば、せざる理たり。と云きかせ、さとらしめて、なさしむべからず。又、わが身に用なき無益の芸を、習はしむべからず。たとひ、用ある芸能といへども、一向にこのみ過して、其事にのみ心を用ゆれば、必其一事に心がたぶきて、万事に通せず。其このむ所につきて、ひが事多く、害多し。いはんや、益なき事をすきこのむをや。凡幼より、このむ所、ならふ事を、はやくゑらぶべし。

小児の時より、年長ずるにいたるまで、父となり、かしづきとなる者、子のすきこのむ事ごとに心をつけて、ゑらびて、このみにまかすべからず。このむ所に打まかせで、よしあしをゑらばざれば、多くは悪きすぢに入て、後はくせとなる。一たびあしき方にうつりては、とりかへして、よき方にうつらず、いましめてもあらたまらず、一生の間、やみがたし。故にいまだそまざる内に、早くいましむべし。ゆだんして、其子のこのむ所にまかすべからず。ことに高家の子は、物ごとゆたかに、自由なるゆへに、このむかたに心はやくうつりやすくして、おぼれやすし。はやくいましめざれば、後にそみ入ては、いさめがたく、立かへりがたし。又、あしからざる事も、すぐれてふかくこのむ事は、必害となる。故に子をそだつるには、ゆだんして其このみにまかすべからず。早くいましむべし。おろそかにすべからず。予するを先とするは此故なり。

小児の時、紙鳶をあげ、破魔弓を射、狛をまはし、毬打の玉をうち、てまりをつき、端午に旗人形をたつる。女児の羽子をつき、あまがつをいだき、ひいなをもてあそぶの類は、只いとけなき時、このめるはかなきたはふれにて、年やうやく長じて後は、必すたるものなれば、心術におゐて害なし。大やう其このみにまかすべし。されど、ついゑ多く、かざりすごし、このみ過さば、いましむべし。ばくちににたるあそびは、なさしむべからず。小児のあそびをこのむは、つねの情なり。道に害なきわざならば、あながちにおさえかがめて、其気を屈せしむべからず。只、後にすたらざるあそび・このみは打まかせがたし。

礼は天地のつねにして、人の則也。即人の作法をいへり。礼なければ、人間の作法にあらず。禽獣に同じ。故に幼より、礼をつつしみて守るべし。人のわざ、事ごとに皆礼あり。よろづの事、礼あれば、すぢめよくして行はれやすく、心も亦さだまりてやすし。礼なければ、すぢめたがひ、乱れて行はれず、心も亦やすからず。故に礼は行なはずんばあるべからず。小児の時より和礼の法にしたがひて、立居ふるまひ、飲食、酒茶の礼、拝礼などおしゆべし。

志は虚邪なく、事は忠信にして偽なく、又、非礼の事、いやしき事をいはず、かたちの威儀をただしくつつしむ事をおしゆべし。又、諸人に交るに、温恭ならしむべし。温恭は、やはらかにうやまふ也。是善を行なふ始也。心あらきは、温にあらず。無礼なるは、恭にあらず。己を是とし、人を非として、あなどる事を、かたく戒むべし。高位なりとて、我をたかぶる事なかれ。高き人は、人にへりくだるを以、道とする事を、おしゆべし。きずい(気随)にして、わがままなる事をはやくいましむべし。かりそめにも人をそしり、わが身におごらしむる事なかれ。常にかやうの事を、はやく教戒むべし。

およそ人の悪徳は、矜なり。矜とは、ほこるとよむ、高慢の事也。矜なれば、自是として、其悪をしらず。、過を聞ても改めず。故に悪を改て、善に進む事、かたし。たとひ、すぐれたる才能ありとも、高慢にしてわが才にほこり、人をあなどらば、是凶悪の人と云べし。凡小児の善行あると、才能あるをほむべからず。ほむれば高慢になりて、心術をそこなひ、わが愚なるも、不徳たるをもしらず、われに知ありと思ひ、わが才智にて事たりぬと思ひ、学問をこのまず、人のをしえをもとめず。もし父として愛におぼれて、子のあしきをしらず、性行よからざれども、君子のごとくほめ、才芸つたなけれども、すぐれたりとほむるは、愚にまよへる也。其善をほむれば、其善をうしなひ、其芸をほむれば、其芸をうしなふ。必其子をほむる事なかれ。其子の害となるのみならず、人にも愚なりと思はれて、いと口をし。をやのほむる子は、多くはあしくなり、学も芸もつたなきもの也。篤信、かつていへり。「人に三愚あり。我をほめ、子をほめ、妻をほむる、皆是愛におぼるる也」。

小児に学問をおしゆるに、はじめより、人品よき師を求むべし。才学ありとも、あしき師に、したがはしむべからず。師は、小児の見ならふ所の手本なればなり。凡学問は、其学術をゑらぶ事を、むねとすべし。学のすぢあしければ、かへりて性をそこなふ。一生つとめても、よき道にすすまず。一たびあしきすぢをまなべば、後によき術をききても、うつらず。又、才力ありて高慢なる人、すぢわるき学問をすれば、善にうつらざるのみならず、必邪智を長じて、人品弥あしくなるもの也。かやうの人には、只、小学の法、謙譲にして。自是とせざるを以、教をうくるの基となさしめて、温和・慈愛を心法とし、孝弟、忠信、礼義、廉恥の行をおしえて、高慢の気をくじくべし。其外、人によりて、多才はかへりて、其心をそこなひ、凶悪をますものなり。まづ謙譲をおしえて、後に、才学をならはしむべし。

子弟をおしゆるには、先其まじはる所の、友をゑらぶを要とすべし。其子のむまれつきよく、父のをしえ正しくとも、放逸なる無頼の小人にまじはりて、それと往来すれば、必かれに引そこなはれて、あしくなる。いはんや、其子の生質よからざるをや。古人のことばに、「年わかき子弟、たとひ年をおはるまで書をよまずとも、一日小人にまじはるへからず。」といへり。一年書をよまざるは、甚あしけれど、猶それよりも、一日小人にましはるはあしき事となり。最悪友の甚害ある事をいへり。人の善悪は、皆友によれり。古語曰、「麻の中なるよもぎは、たすけざれども、おのづから直し」。又曰、「朱にまじはれば赤し、墨に近づけば黒し。」といふ事、まことにしかり。わかき時は、血気いまた定らず、見る事、きく事、にうつりやすきゆへ、友あしければ悪にうつる事はやし。もろこしにて、公儀の法度をおそれず、わが家業をつとめざるものを、無頼と云。是放逸にして、父兄のおしえにしたがはざる、いたづらもの也。無頼の小人は、必酒色と淫楽をこのみ、又、博打をこのみて、いさめをふせぎ、はぢをしらず、友をひきそこなふもの也。必其子をいましめて、かれにまじはりしむべからず。一たび是とまじはりて、其風にうつりぬれば、親のいましめ、世のそしり、を、おそれず、とがをおかし、わざはひにあへども、かへり見ず。もし幸にして、わざはひをまぬがるといへども、大不孝の罪にをち入て、悪名をながす。わざはひをまぬかれざる者は、一生の身をうしなひ、家をやぶる。かなしむべきかな。

四民ともに、其子のいとけなきより、父兄・君長につかふる礼義、作法をおしえ、聖経をよましめ、仁義の道理を、やうやくさとさしむべし。是根本をつとむる也。次に、ものかき、算数を習はしむべし。武士の子には、学間のひまに弓馬、剣戟、拳法など、ならはしむべし。但一向に、芸をこのみすごすべからず。必一事に心うつりぬれば、其事にをぼれて、害となる。学問に志ある人も、芸をこのみ過せば、其方に心がたぶきて、学問すたる。学問は専一ならざれば、すすみがたし。芸は、学問をつとめて、そのいとまある時の、余事なり。学問と芸術を、同じたぐひにおもへる人あり。本末軽重をしらず、おろかなり、と云べし。学問は本なり、芸能は末なり。本はおもくして、末はかろし。本末を同じくすべからず。後世の人、此理をしらず、かなしむべし。殊に大人は、身をおさめ、人をおさむる稽古だにあらば、芸能は其下たる有司にゆだねても、事かけず。されど六芸は、大人といへど、其大略をば学ぶべし。又、軍学・武芸のみありて、学間なく、義理をしらざれば、ならふ所の武事、かへりて不忠不義の助となる。然れば、義理の学問を本とし、おもんずべし。芸術はまことに末なり。六芸のうち、物かき、算数をしる事は、殊に貴賤・四民ともに、ならはしむべし。物よくいひ、世になれたる人も、物をかく事、達者ならず。文字をしらざれば、かたこといひ、ふつづかにいやしくて、人に見おとされ、あなどりわらはるるは口をし。それのみならず、文字をしらざれば、世間の事とことば(詞)に通せず、もろもろのつとめに応じがたくて、世事とどこをる事のみ多し。又、日本にては、算数はいやしきわざなりとて、大家の子にはおしえず。是国俗のあやまり、世人の心得ちがへるなり。もろこしにて、いにしへは、天子より庶人まで、幼少より、皆算数をならはしむ。大人も国郡にあらゆる民(の)数をはかり、其年の土貢の入をはかりて、来年出し用ゆる分量をさだめざれば、かぎりなき欲にしたがひて、かぎりある財つきぬれば、困窮にいたる。是算をしらざればなり。又、国土の人民の数をはかり、米穀・金銀の多少と、軍陣に人馬の数と糧食とをかんがへ、道里の遠近と運送の労費をはかり、人数をたて、軍をやるも、皆算数をしらざれば行なひがたし。臣下にまかせては、おろそかにして事たがふ。故に大人の子は、ことに、みづから算数をしらでは、つとめにうとく、事かくる事多し。是日用か切要なる事にして、かならず、ならひしるべきわざなり。近世、或君の仰に、「大人の子のまなびてよろしぎ芸は、何事ぞ。」と間給ひしに、其臣こたへて、「算数をならひ給ひてよろしかるべししと辛されける。い上よろしきこたへなりけるとかたりつたふ。凡たかきもひききも、算数をしらずして、わが財禄のかぎりを考がへず、みだりに財を用ひつくして、困窮にいたるも、又、事にのぞみて算をしらで、利害を考る事もなりがたきは、いとはかなき事也。又、音楽をもすこぶるまなび、其心をやはらげ、楽しむべし。されど、もはらこのめば、心すさむ。幼少よりあそびたはふれの事に、心をうつさしむべからず、必制すべし。もろこしの音楽だにも、このみ遇せば、心をとらかす。いはんや日本の俗に翫ぶ散楽は、其章歌いやしく、道理なくして、人のをしえとならざるをや。芸能其外、あそびたはふれの方に、心うつりぬれば、道の志は、必すたるもの也。専一ならざれば、直に送る事あたはずとて、学間し道をまなぶには、専一につとめざれば、多岐の迷とて、あなた・こなたに心うつりて、よき方に、ゆきとどかざるもの也。専一にするは、人丸の歌に、「とにかくに、物は思ばず飛騨たくみ、うつ墨なはの只一すぢに」、とよめるが如くなるべし。

富貴の家の子にむまれては、いとけなき時より世のもてなし、人のうやまひあつくして、よろづゆたかに心のままにて、世界の栄花にのみ、ふけるならはしなれば、おそれつつしむ心なく、おごり日々に長じやすく、たはぶれ・あてびをこのみ、人のいさめをきらひにくむ。いはんや学問などに身をくるしめん事は、いとたへがたくて、富貴の人のするわざにあらずと思ひ、むづかしく、いたづかはしとて、うとんじきらふ。かかる故に、おごりをおさへて、身をへりくだり、心をひそめ、師をたうとび、古をかうがへずんば、いかにしてか、心智をひらきて身をおさめ、人をおさむる道をしるべきや。

いやしき者、わが身ひとつおさむるだに、学問なくて、みづからのたくみにはなりがたし。いはんや富貴の人はおほくの民をおさむる職分、大きにひろければ、幼き時より、師に近づき、聖人の書をよみ、古の道を学んで、身をおさめ、人を治むる理をしらずんばあるべからず。いかに才力を生れ付りとも、いにしへのひじりの道をまなばずして、わが生れ付の心を以、みだりに人をつかひ、民をつかさどれば、人民をおさむる心法をも、其道、其法をもしらで、あやまり多くして、人をそこなひて、道にそむき、天官をむなしくして職分をうしなふ。しかれば、位高く禄おもき人の子は、ことさら少年より、はやく心をへりくだり、師をたつとびて、学ばずんばあるべからず。

およそたかき家の子は、いとけなきより、下なる者へつらひ、したがひて、ひが事を云、ひが事を行なひても、尤なりとかんじ、つたなき芸をも、はやく、上手なりとほむれば、きく人、みづからよしあしをわきまへず、へつらひ、いつはりてほむるとはしらず、わが云事もなす事も、まことによき、とおもひ、わが身に自慢して、人にとひまなぶ事なければ、智恵・才徳のいでき、すすむべきやうなくて、一生をおはる。ここを以、高家の子には、いとけなき時より、正直にて知ある人を師とし友とし、そばにつかふる人をもゑらびて、あしき事をいましめ、善をすすむべし。へつらひほむる人をば、いましめしりぞくべし。富貴の人の子は、とりわき、はやくおしえいましめざれば、年長じて後、世の中さかりに、おごりならひぬれば、いきおひつよくなりて、家臣としていさめがたし。位たかく身ゆたかなれば、民のくるしみ、人のうれひ、をしらず、人のついえ、わがついえ、をもいとはず、をごりにならひては、人をあはれむ心もうすくなる。又、さほど高きしなにのほらざれども、時にあひ、いきほひにのりては、つねの心をうしなひ、人に、無礼を行なひ、物のあはれをしらず、人の情をもわすれて、云まじき事をもいひ、なすまじき事をもなす事こそ、あさましけれ。いとけなき時より、いにしへの事をしれる、おとなしく正しきいにしえ人をゑらび用て、師とし友とし、はやく学問をつとめさせ、身をおさめ、人をおさむる古の道をおしえて、善を行はしめ、悪をいましむべし。よき人をゑらびて、もし其人にあらずんば、師とすべからず。すでに師とせば、是をたうとびうやまひ、其をしえをうけしむべし。又、身の養、飲食などの、つつしみをもおしゆべし。左右近習の人をよくゑらびて、質朴にて忠信なる人を、なれ近づかしむべし。必邪佞・利口の人を、ちかづくべからず。かやうの人、はなはだ、人の子をそこなふものなり。又、邪悪の人にあらざれども、文盲にして学問をきらふ師のをしえ、人は、よき事をしらで、幼少なる子の、志をそこなふ。左右の人、正しからざれば、父のいさめ、行はれず。心にかなひたるとて、子の害になる人を、近づくべからず。賈誼がことばに、「太子をよくするは、はやくをしゆると、左右をゑらぶにあり。」といへり。最古今の名言なり。

和俗童子訓 巻之一 終

巻之二 総論下

いとけなき時より、孝弟の道を、もっばらにをしゆべし。孝弟を行ふには、愛敬の心法をしるべし。愛とは、人をいつくしみ、いとをしみて、おろそかならざる也。敬とは、人をうやまひて、あなどらざる也。父母をいつくしみ、うやまふは孝也。是愛敬の第一の事也。次に兄をいつくしみ、うやまふは弟なり。又、をぢ、をばなど、およそ年長ぜる人をいつくしみ、うやまふも弟たり。次にわが弟、いとこ、おひなど、又めしつかふ下部など、其ほどにしたがひて、いつくしむべし。いやしき者をも、あなどり、おろそかにすべからず。各其位にしたがひて、愛敬すべし。およそ愛敬二の心は、人倫に対する道なり。人にまじはるに、わが心と顔色をやはらげ、人をあなどらざるは、是善を行なふはじめなり。わが気にまかせて、位におごり、才にほこり、人をあなどり、無礼をなすべからず。

少年にて、師にあひて物をならふに、朝は師にまなび、昼は朝まなびたる事をつとめ、夕べはいよいよかさねならひ、夜ふして、一日の中に、口にいひ、身に行なひたる事をかへり見て、あやまちあらば、くひて、後のいましめとすべし。

人の弟子となり、師につかへては、わが位たかしといへ共、たかぶらず。師をたっとび、うやまひて、おもんずべし。師をたっとばざれば、学間の道たたず。師たる人、教を弟子にほどこさば、弟子これにのっとりならひ、師に対して、心も顔色もやはらかに、うやまひつつしみ、わが心を虚しくして自慢なく、すでにし(知)れる事をもしらざるごとくし、又よく行なふ事をも、よくせざるごとくにして、へりくだるべし。師よりうけたるをしえをば、心をつくしてきは(究)めならふべし。是弟子たる者の、師にあひて、をしえをうくる法なり。

論語の、「子曰、弟子入ては則ち孝する」の一章は、人の子となり、弟となる者の法を、聖人のをしえ給へるなり。わが家に在ては、先親に孝をなすべし。孝とは、善く父母につかふるを云。よくつかふるとは、孝の道をしりて、ちからをつくすを云。ちからをつくすとは、わが身のちからをつくして、よく父母につかへ、財のちからをつくして、よく養なふを云。父母につかふるには、ちからををしむべからず。次に、おやの前を退き出てては、弟を行なふべし。弟は、善く兄長につかふるを云。兄は、子のかみにて、親にちかければ、うやまひしたがふべし。もし兄より弟を愛せずとも、弟は弟の道をうしなふべからず。兄の不兄をにせて、不弟なるべからず。其外、親戚・傍輩の内にても、年老たる長者をば、うやまひて、あなどる事なかれ。是弟の道なり。凡孝弟の二つは、人の子弟の、行ひの根本也。尤つとむべし。謹とは、心におそれありて、事のあやまりなからんやうにする也。万の事は、つつしみより行はる。つつしみなければ、万事みだれて、善き道行なはれず、万のあやまちも、わざはひも、皆つつしみなきよりをこる。つつしめば、心におこたりなく、身のつつしむわざにあやまりすくなし。謹の一字、尤大せつの事也。わかき子弟のともがら、ことさら是を守るべし。信とは、言にいつはりなくて、まことあるを云。身には行なはずして、口にいふは信なきなり。又、人と約して、其事を変ずるも信なきなり。人の身のわざおほけれど、口に言と身に行との二つより外にはなし。行をつつしみて、言に情あるは、身ををさむるの道也。「汎く衆を愛す」とは、我がまじはり対する所の諸人に、なさけありて、ねんごろにあはれむを云。下人をつかふに、なさけふかきも亦、衆を愛する也。「仁にちかずく」とは、善人にしたしみ、近づくを云。ひろく諸人を愛して、其内にて取わき善人をば、したしむべし。善人をしたしめば、よき事を見ならひ、聞ならひ、又、其いさめをうけ、我過を聞て改るの益あり。此六事は人の子となり、弟となる者の、身をおさめ、人にまじはる道なり。つとめ行なふべし。「行って余力あれば即(ち)用ひて文を学ぶ。」とは、余力はひま也。上に見えたる孝弟以下六事をつとめ行て、其ひまには、又いにしへの聖人の書をよんで、人の道をまなぶべし。いかに聡明なりとも、聖人の教をまなばざれば、道理に通せず、身をおさめ、人に交る道をしらずして、過多し。故に必いにしへのふみをまなんで、其道をしるべし。是則、身をおさめ、道を行なふ助なリ。次には日用に助ある六芸をも学ふべし。聖人の経書をよみ、芸を学ぶは、すべて是文をまなぶ也。文を学ぶ内にも、本末あり。経伝をよんで、学問するは本也。諸芸をまなぶは末也。芸はさまざま多し。其内にて、人の日々に用るわざをゑらびて学ぶべし。無用の芸は、まなばずとも有なん。芸も亦、道理ある事にて、学問の助となる。これをしらでは、日用の事かけぬ芸を学はざれば、たとへば木の本あれども、枝葉なきが如し。故に聖人の書をまなんで、其ひまには文武の芸をまなぶべし。此章、只二十五字にて、人の子となり、弟となる者の、行ふべき道、これにつくせり。聖人の語、ことばすくなくして、義そなはれり。と云べし。

凡子弟年わかきともがら、あしき友にまじはりて、心うつりゆけば、酒色にふけり、淫楽をこのみ、放逸にながれ、淫行をおこなひ、一かたに悪しき道におもむきて、よき事をこのまず。孝弟を行ひ、家業をつとめ、書をよみ、芸術をならふ事をきらひ、少のつとめをもむつかしがりて、かしら(いたく、気なやむなどいひ、よろづのつとむべきわざをば、皆気つまるとてつとめず。父母は愛におぼれて、只、其気ずいにまかせて、放逸をゆるしぬれば、いよいよ其心ほしいままになりて、ならひて性となりぬれば、よき事をきらひ、むつかしがりて、気つまり病をこるといひてつとめず。なかにも書をよむ事をふかくきらふ。凡気のつまるといふ事、皆よき事をきらひ、むつかしく思へるきずいよりおこれるやまひなり。わがすきこのめる事には、ひねもす、よもすがら、心をつくし、力を用ても気つまらず、囲碁をこのむもの、夜をうちあかしても、気つまらざるを以しるべし。又、蒔絵師、彫物師、縫物師など、いとこまかなる、むつかしき事に、日夜、心力と眼力をつくす。かやうのわざは、面白からざれども、家業なれば、つとめてすれども、いまだ気つまり、病となると云事をきかず。むつかしきをきらひて、気つまると云は、孝弟の道、家業のしはざなどの、よき事をきらふ気ずいよりをこれり。是孝弟・人倫のつとめ行はれずして、学問・諸芸の稽古のならざる本なり。書をよまざる人は、学問の事、不案内なる白徒(しろうと)なれば、読書・学問すれば、気つまり気へりて、病者となり、命もちぢまるとおもへり。是其ことはりをしらざる、愚擬なる世俗のまよひ也。凡学問して、をやに孝し、君に志し、家業をつとめ、身をたて、道を行なひ、よろづの功業をなすも、皆むつかしき事をきらはず、苦労をこらへて、其わざを、よくつとむるより成就せり。むつかしき事、しげきわざに、心おだやかにくるしまずして、一すぢに、しづかになしもてゆけば、後は其事になれて、おもしろくなり、心をくるしむる事もなくて、其事つゐに成就す。又むつかしとて、事をきらへば、心から事をくるしみて、つとむべき事をむづかしとするは、心のひが事なり。心のひが事をば、其ままをきて、事の多きをきらふは、あやまり也。又、「煩に耐ゆる」とは、むつかしきを、こらゆるを云。此二字を守れば、天下の事、何事もなすべし、と古人いへり。是わかき子弟のともがらの守るべき事なり。

小児の時は、必あしきくせ、あしきならはしなどあるを、みづからあしき事としらば、あらためて行なふべからず。又かかるあしき事を、人のいさめにあひ、いましめられば、よろこんではやくあらため、後年まで、ながくその事をなすべからず。一たび人のいさめたる事は、ながく心にとどめて、わするべからず。人のいさめをうけながら、あらためず、やがてわするゝは、守なしと云べし。守なき人は、よき人となりがたし。いはんや、人のいさめをきらひ、いかりうらむる人は、さらなり。人のいさめをきかば、よろこんでうくべし。必いかりそむくべからず。いさめをききて、もしよろこんでうくる人は、善人也、よく家をたもつ。いさめをきらひ、ふせぐ人は、必家をやぶる。是善悪のわかるる所なり。いさむる事、理たがひたりとも、そむきて、あらそふべからず。いさめをききていかれば、かさねて其人、いさめをいはず。凡いさめをきくは、大に身の益なり。いさめをききて、よろこんでうけ、わが過を改むるは、善、これより大なるはなし。人の悪事多けれど、いさめをきらふは、悪のいと大なる也。わが身のあしき事をしらせ、あやまちをいさむる人は、たうとみ、したしむべし。わづかなるくひものなどおくるをだに、よろこぶならひなり。いはんや、いさめを云ふ人は、甚悦びたうとぶべし。

いとけなき時より、善をこのんで行なひ、悪をきらひて去る、此志専一なるべし。此志なければ、学問しても、益をなさず。小児の輩、第一に、ここに志あるべし。此事まへにもすでに云つれども、幼年の人々のために、又かへすがへす丁寧につぐるなり。人の善を見ては、我も行なはんと思ひ、人の不善を見ては、わが身をかへりみて、其ごとくなる不善あらば、改むべし。かくの如くすれば、人の善悪を見て、皆わが益となる。もし人の善を見ても、わが身に取て用びず、人の不善を見ても、わが身をかへり見ざるは、志なしと云べし。愚なるの至りなり。

父母の恩はたかくあつき事、天地に同じ。父母なければ、わが身なし、其恩、ほうじがたし。孝をつとめて、せめて万一の恩をむくふべし。身のちから、財のちから、をつくすべし、おしむべからず。是父母につかへて、其ちからをつくすなり。父母死して後は、孝をつくす事なりがたきを、かねてよくかんがへ、後悔なからん事をおもふべし。

年わかき人、書をよまんとすれば、無学なる人、これを云さまたげて、書をよめば心ぬるく、病者になりて、気よはく、いのちみじかくなる、と云ておどせば、父母おろかなれば、まことぞ、と心得て、書をよましめず。其子は一生おろかにておはる。不幸と云べし。

人の善悪は、多くはならひなるるによれり。善にならひなるれば、善人となり、悪にならひなるれば、悪人となる。然れば、いとけなき時より、ならひなるる事を、つつしむべし。かりにも、あしき友にまじはれば、ならひて、あしき方に早くうつりやすし。おそるべし。

師の教をうけ、学問する法は、善をこのみ、行なふを以、常に志とすべし。学問するは、善を行はんがため也。人の善を見ては、わが身に取りて行なひ、人の義ある事をきかば、心にむべなりと思ひかんじて、行なふべし。善を見、義をききても、わが心に感ぜず、身に取用て行なはずば、むげに志なく、ちからなし、と云べし、わが学問と才力と、すぐれたりとも、人にほこりて自慢すべからず。言にあらはしてほこるは、云に及ばず、心にも、きざすべからず。志は、いつはり邪なく、まことありてただしかるべし。心の内は、おほひくもりなく、うらおもてなく、純一にて、青天白日の如くなるべし。一点も、心の内に邪悪をかくして、うらおもてあるべからず。志正しきは、万事の本なり。身に行なふ事は、正直にして道をまげず、邪にゆがめる事を、行なふべからず。外に出てあそび居るには、必つねのしかるべき親戚・朋友の所をさだめて、みだりに、あなたこなた、用なき所にゆかず。其友としてまじはる所の人をゑらびて、善人に、つねにちかづき、良友にまじはるべし。善人に交れば、其善を見ならひ、善言をきき、わが過をききて、益おほし。悪友にまじはれば、はやく悪にうつりやすし。必友をゑらびて、かりそめにも悪友に交はるべからず。おそるべし。朝にはやくおきておやにつかへ、事をつとむべし。朝ゐしておこたるべからず。およそ、人のつとめは、あしたをはじめとす。朝居する人は、必おこたりて、万事行なはれず。夜にいたりても、事をつとむべし。はやくいねて、事をおこたるも、用なきに、夜ふくるまでいねがてにて、時をあやまるも、ともに子弟の法にそむけり。衣服をき、帯をしたるかたちもととのひて、威儀正しかるべし。放逸たるべからず。朝ごとに、きのふいまだ知らざるさきを、師にまなびそへ、暮ごとに、朝まなべる事を、かさねがさね、つとめておこたるべからず。心をあらく、おほやうにせず、つづまやかにすこしにすべし。かくの如くに、日々につとめておこたらざるを、学間の法とす。

子弟、孫、姪など幼き者には、礼義を正しくせん事を教ゆべし。淫乱・色欲の事、たはぶれのことば、非礼のわざ、をいましめて、なさしむべからず。又、道理なき、善と,てはたら正しからざるふだまぶり、祈祷などを、みだりに信じてまよへる事、禁ずべし。いとけなく若き時より、かやうの事に心まどひぬれば、真心、くせになりて、一生其まよひとけざるものなり。神祇をば、おそれたうとびうやまひて、遠ざかるべし。なれ近づきて、けがし、あなどるべからず。わが身に道なく、私ありて、神にへつらひいのりても、神は正直・聡明なれば、非礼をうけ玉ばず。へつらひをよろこび給はずして、利益なき事をしるべし。

いにしへ、もろこしにて、小児十歳なれば、外に出して昼夜師に随ひ、学問所にをらしめ、常に父母の家にをかず。古人、此法深き意あり。いかんとなれば、小児、つねに父母のそばに居て、恩愛にならへば、愛をたのみ、恩になれて、日々にあまえ、きずいになり、艱苦のつとめなくして、いたづらに時日をすごし、教行はれず。且、孝弟の道を、父兄のをしゆるは、わが身によくつかへよ、とのすすめなれば、同じくは、師より教えて行はしむるがよろし。故に父母のそばをはなれ、昼夜外に出て、をしえを師にうけしめ、学友に交はらしむれば、おごり、おこたりなく、知慧日々に明らかに、行儀日々に正しくなる。是古人の子をそだつるに、内におらしめずして、外にいたせし意なり。

子孫、年わかき者、父祖兄長のとがめをうけ、いかりにあはば、父祖の言の是非をゑらばず、おそれつつしみてきくべし。いかに、はげしき悪言をきくとも、ちりばかりも、いかりうらみたる心なく、顔色にもおらはすべからず。かならず、わが理ある事を云たてて、父兄の心にそむくべからず。只ことばなくして、其せめをうくべし。是子弟の、父兄につかふる礼なり。父兄たる人、もし人のことばをきき損じて、無理仏る事を以て、子弟をしゑたげせむとも、いかるべからず。うらみ、そむけいる色を、あらはすべからず。云わけする事あらば、時すぎて後、識すべし。或別人を頼みて、いはしむべし。十分に、われに道理なくば、云わけすべからず。

子弟をおしゆるに、いかに愚・不肖にして、わかく、いやしきとも、甚しく怒のりて、顔色とことばを、あららかにし、悪口して、はづかしむべからず。かくの如くすれば、子弟、わが非分なる事をばわすれて、父兄のいましめをいかり、うらみ・そむきて、したがはず、かへつて、父子・兄弟の間も不和になり、相やぶれて、恩をそこなふにいたる。只、従容として、厳正にをしえ、いくたびもくりかへし、やうやく、つげ戒むべし。是子弟をおしえ、人材をやしなひ来す法なり。父兄となれる人は、此心得あるべし。子弟となる者は、父兄のいかり甚しく、悪口してせめはづかしめらるるとも、いよいよ、おそれつつしみて、つゆばかりも、いかりうらむべからず。

小児の時は、知いまだひらけず、心に是非をわきまへがたき故に、小人のいふことばに、まよひやすし。世俗の、口のききたる者、学問をきらひて、善人の行儀かたく正しきをそしり、風雅なるをにくみて、今やうの風にあはず、とてそしり、只、放逸なる事を、いざなひすすむるをきかば、いかにいとけなく、智なくとも、心を付て其是非をわかつべし。かくの如くなる小人のことばにまよひて、うつるべからず。

いかりをおさえて、しのぶべし。忍ぶとは、こらゆる也。ことに、父母・兄長に対し、少しも、心にいかり・うらむべからず。いはんや、顔色と眼目にあらはすべけんや。父兄に対していかるは、最大なる無礼なり。いましむべし。内に和気あれば、顔色も目つきも和平なり。内に怒気あれば、顔色・眼目あしし。父母に対して、悪眼をあらはすべきや、はづべし。孝子の深愛ある者は、必和気あり。和気ある者は、必愉色あり。子たる者は、父母に対して和気を失なふべからず。

人のほめ・そしりには、道理にちがへる事多し。ことごとく信ずべからず。おろかなる人は、きくにまかせて信ず。人のいう事、わが思ふ事、必理にたがふ事おほし。ことに少年の人は、智慧くらし。人のいへる事を、ことごとく信じ、わが見る事をことごとく正しとして、みだりに人をほめ・そしるべからず。

いとけなき時より、年老ておとなしき人、才学ある人、古今世変をしれる人、になれちかづきて、其物がたりをききおぼえ、物にかきつけをきて、わするべからず。叉うたがはしき事をば、し(知)れる人にたづねとふべし。ふるき事をしれる老人の、ものがたりをきく事をこのみて、きらふべからず。かやうにふるき事を、このみききてきらはず、物ごとに志ある人は、後に必、人にすぐるるもの也。又、老人をば、むづかしとてきらひ、ふるき道々しき事、いにしへの物がたりをききては、うらめしく思ひ、其席にこらへず、かげにてそしりわらふ。是凡俗のいやしき心なり。かやうの人は、おひさきよからず、人に及ぶ事かたし。古人のいはゆる、「下士(げし)は道をきいて大にわらふ。」といへる是也。かやうの人には、まじはりちかづくべからず。必あしきかたにながる。蒲生氏郷いといくけなき時、佐々木氏より、人質として信長卿に来りつかへられし時、信長の前にて、老人の軍物語するを、耳をかたぶけてきかれける。或人、是を見て、此童ただ人にあらず、後は必名士ならん。と云しが、はたして英雄にてぞ有ける。およそわかき人は、老人の、ふるき物語をこのみききて、おぼえおくべし。わかき時は、おほくは、老人のふるき物語をきく事をきらふ。いましむべし。又わかき時、わが先祖の事をしれる人あらば、よくとひたづねてしるしおくべし。もしかくの如にせず、うかとききては、おぼえず。年たけて後、先祖の事をしりたく思へども、知れる人、すでになくなりにたれば、とひてきくべきやうなし。後悔にたへず。子孫たる人、わがおや先祖の事、しらざるは、むげにおろそかなり。いはんや、父祖の善行、武功などあるを、其子孫しらず、しれどもしるしてあらは(顕)さざるは、おろかなり。大不孝とすべし。

父母やはらかにして、子を愛し過せば、子おこたりて、父母をあなどり、つつしまずして、行儀あしく、きずいにして、身の行ひあしく、道にそむく。父たる者、戒ありておそるべく、行儀ありて手本になるべければ、子たる者、をそれつつしみて、行儀正しく、孝をつとむる故に、父子和睦す。子の賢不肖、多くは父母のしはざなり、父母いるがせにして、子のあしきをゆるせば、悪を長ぜしめ、不義にをちいる。これ子を愛するに非ずして、かへりて、子をそこなふなり。子をそだつるに、幼より、よくをしえいましめてもあしきは、まことに天性のあしきなり。世人多くは、愛にすぎてをごらしめ、悪をいましめざる故、習ひて性となり、つゐに、不肖の子となる者多し。世に上智と下愚とはまれなり。上智は、をしえずしてよし、下愚は、をしえても改めがたしといへども、悪を制すれば、面は改まる。世に多きは中人なり。中人の性は、教ゆれば善人となり、をしえざれば不善人となる。故にをしえなくんばあるべからず。

小児の衣服は、はなやかなるも、くるしからずといへども、大もやう、大じま、紅・紫などの、ざればみたるは、きるべからず。小児も、ちとくすみ過たるは、あでやかにして、いやしからず、はなやか過て、目にたつは、いやしくして、下部の服のごとし。大かた、衣服のもやうにても、人の心は、おしはからるみものたれば、心を用ゆべし。又、身のかざりに、ひまを用ひすくすべからず。ひまついえて益なし。只、身と衣服にけがれなくすべし。

農工商の子には、いとけなき時より、只、物かき・算数をのみをしえて、其家業を専にしらしむべし。必楽府淫楽、其外、いたづらなる、無用の雑芸をしらしむべからず。これにふけり、おぼれて、家業をつとめずして、財をうしなひ、家を亡せしもの、世に其ためし多し。富人の子は、立居ふるまひ、飲食の礼などをば、ならふべし。必いましめて、無頼放逸にして、酒色淫楽をこのむ悪友に、まじはらしむべからず。是にまじはれば、必身の行あしく、不孝になり、財をうしなひ、家をやぶる。甚おそるべし。

小児は十歳より内にて、はやくおしえ戒むべし。性悪くとも、能おしえ習はさば、必よくなるべし。いかに美質の人なりとも、悪くもてなさば、必悪しきにうつるべし。年少の人の悪くなるは、教の道なきがゆへなり。習をあしくするは、たとへば、馬にくせを乗付るがごとし。いかに曲馬にても、能き乗手ののれば、よくなるもの也。又うぐひすのひなをかふに、はじめてなく時より、別によくさゑづるうぐひすを、其かたはらにをきて、其音をききならはしむれば、必よくさえづりて、後までかはらず。是はじめより、よき音をききてならへばなり。禽獣といへど、はやくおしえぬれば、善にうつりやすき事、かくの如し。況んや人は万物の霊にて、本性は善なれば、いとけなき時より、よく教訓したらんに、すぐれたる悪性の人ならずば、などかあしくたらん。人を教訓せずしてあしくなり、其性を損ずるは、おしむべき事ならずや。

子孫、幼なき時より、かたくいましめて、酒を多くのましむべからず。のみならへば、下戸も上戸となりて、後年にいたりては、いよいよ多くのみ、ほしいままになりやすし。くせとなりては、一生あらたまらず。礼記にも、「酒は以て老を養なふところなり、以て病ひを養なふところなり」といへり。尚書には、神を祭るにのみ、酒を用ゆべき由、をいへり。しかれば酒は、老人・病者の身をやしたひ、又、神前にそなへんれう(料)に、つくれるものなれば、年少の人の、ほしゐままにのむべき理にあらず。酒をむさぼる者は、人のよそ目も見ぐるしく、威儀をうしなひ、口のあやまり、身のあやまりありて、徳行をそこなひ、時日をついやし、財宝をうしなひ、名をけがし、家をやぶり、身をほろぼすも、多くは酒の失よりをこる。又、酒をこのむ人は、必血気をやぶり、脾胃をそこなひ、病を生じて、命みじかし。故に長命なる人、多くは下戸也。たとひ、生れつきて酒をこのむとも、わかき時よりつつしみて、多く飲むべからず。凡上戸の過失は甚多し。酔に入りては、謹厚なる人も狂人となり、云まじき事を云、なすまじき事をなし、ことばすくなき者も、言多くなる。いましむべし。酒後のことば、つつしみて多くすべからず。又、酔中のいかりをつつしみ、酔中に、書状を人にをくるべからず。むべも、昔の人は、酒を名づけて、狂薬とは云へりけん。貧賎なる人は、酒をこのめば、必財をうしなひ、家をたもたず。富貴たる人も、酒にふければ、徳行みだれて、家をやぶる。たかきいやしき、其わざはひは、のがれず。いましむべし。

小児のともがら、たはぶれ、おほく云べからず。人のいかりををこす。又、人のきらふ事、云べからず、人にいかりそしられて、益なし。世の人、おほくいやしきことをいふとも、それをならひて、いやしき事云べからず。小児のことばいやしきは、ことにききにくし。

和俗童子訓 巻之二 終

巻之三 年に随ふて教える法

めてゆるすべからず。もし人をあなどる事をゆるし、かへりてわらびよろこべば、小児は善悪をわきまへずして、あしからざる事と思ひ、長じて後、此くせやまず、子となり弟となる法をしらず、無礼にして不孝不弟となる。是父母をろか(愚)にして、子の悪をすすめなせるなり。やうやく年をかさねば、弟を愛し、臣僕をあはれみ、師を尊び、友にまじはる道、賓客に対して坐立進退、ことばづかひの法、各其品にしたがひて、いつくしみうやまふべき道を、おしえしらしむべし。是よりやうやく孝弟、忠信、礼義、廉恥の道をおしえ行なはしむ。人の財物をもとめ、飲食をむさぼりて、いやしげなる心をいましめ、恥をしるべき事をおしゆべし、七歳より前は、猶いとけなければ、早くいね、をそくおき、食するに時をさだめず、大やう其の心にまかすべし。礼法を以て、一一にせめがたし。八歳より門戸の出入し、又は座席につき、飲食するに、必ず年長ぜる人におくれて、先だつべからず、はじめてへりくだり、ゆづる事ををしゆべし。小児の心まかせにせず、きずい(気随)なる事を、かたくいましむべし。是れかんよう(肝要)の事なり。

ことしの春より、真と草との文字を書きならはしむ。はじめより風体正しき能書を学はしむべし。手跡つたなく、風体あしきを手本としてならへば、あしき事くせとなり、後に風体よき能書をならへどもうつ(移)らず。はじめは真草ともに、大字を書ならはしむべし。はじめより小字をかけば、手すくみてはたらかず。又此年よりはやく文字をよみならはせしらしむべし。孝経、小学、四書などの類の、文句長きむづかしきものは、はじめよりよみがたく、おぼえがたく、たいくつ(退屈)し、学問をきらふ心いできてあしく、まづ文句みじかくして、よみやすく、おぼえやきものをよませ、そらにおぼえさすべし。

十歳、此年より師にしたがはしめ、先五常の理、五倫の道、あちあら云きかせ、聖賢の書をよみ、学問せしむべし。よむ所の書の内、まづ義理のきこえやすく、さとしやすき切要なる所をとき聞すべし。是より後、やうやく小学、四書、五経をよむべし。又、其ひまに、文武の芸術をもならはしむべし。世俗は、十一歳の頃、やうやうはじめて、手習などをしゆ、おそしと云べし。をしえは、早からざれば、心すさみ気あれて、をしえをきらひ、おこたりにならひて、つとめまなぶ事かたし。小児に、はやく心もかほばせも、温和にして人を愛しうやまひ、善を行なふ事を教ゆべし。又、心も身のたち居ふるまひも、しづかにして、みだりうごかず、さはがしからざらん事ををしゆべし。

十五歳、古人、大学に入て学問せし歳也。是より専(もっぱら)義理をまなび、身をおさめ、人をおさむる道をしるべし。是大学の道也。殊更、高家の子、年長じては、諸人の上に立て、おほくの民を預り、人を治むる職分おもし。必小児の時より師をさだめ、書をよませ、古の道ををしえ、身を修め、人を治むる道をしらしむ。もし人をおさむる道をしらざれば、天道よりあづけ給へる、おほくの人をそこなふ事、おそるべし。凡の人も、其分限に応じて、人をおさむるわざ(業)あり。其道を、まなばずんばあるべからず。生質(うまれつき)遅鈍たりとも、これより二十歳までの間に、小学、四書等の大義に通ずべし。若(もし)、聡明ならば、博く学び、多くしるべし。

二十歳、いにしへ、もろこしには、二十にして、かむり(冠)をきるを元服をくは(加)ふと云。元服とは、「かうべのきるもの」とよむ、冠の事也。日本にても、むかしは公家・武家共に、二十歳の内にて、かうぶりゑぼし(冠烏帽子)をきたり。其時、加冠、理髪の役ありき。今も宮家に此事あり、今、武家に前髪を去を元服と云も、むかしのかふりをきるにたぞらへていへり。元服を加へざる内は、猶わらんべ也。元服すれば、成人の道これより備はる。これより幼少なる時の心をすてて、成人の徳にしたがひ、ひろくまたび、あつく行ふべし。其年に応じて、徳行そなはらん事を思ひて、つとむべし。もし元服しても、成人の徳なきは、猶、童心ありとて、むかしも、これをそしれり。

巻之三 年に随ふて教える法 書を読む法

聖人の書を経と云。経とは常也。聖人のをしえは、万世かはらざる、万民の則なれば、つねと云い、四書五経等を経と云い、賢人の書を伝と云。伝とは聖人のをしえをのべて、天下後代につたふる也。四書五経の註、又は周程、張朱、其外、歴代の賢人のつくれる書を、いづれも伝と云。経伝は是古の聖賢の述作り給ふ所なり。其載する所は、天地の理にしたがひて、人の道ををしえ給ふ也。其理至極し、天下万世のをしえとなれる鑑なり。天地人と万物との道理、これにもるる事なき故、天地の間、是にまされる宝、更になし。是を神明のごとくにたうとび、うやまふべし。おろそかにし、けがすべからず。  凡書をよむには、必先手を洗ひ、心につつしみ、容を正しくし、几案のほこりを払ひ、書冊を正しく几上におき、ひざまづきてよむべし。師に、書をよみ習ふ時は、高き几案の上におくべからず。帙の上、或文匣、矮案の上にのせて、よむべし。必、人のふむ席上におくべからず。書をけがす事なかれ。書をよみおはらば、もとのごとく、おほ(覆)ひおさむべし。若、急速の事ありてたち去るとも、必おさむべし。又、書をなげ、書の上をこゆべからず。書を枕とする事なかれ。書の脳を巻きて、折返へす事なかれ。唾を以、幅を揚る事なかれ。故紙に経伝の詞義、聖賢の姓名あらば、つつしみて他事に用ゆべからず。又、君上の御名、父母の姓名ある故紙をもけがすべからず。

小児の記性(おぼえ)をはかつて、七歳より以上入学せしむ。初は早晨に書をよましめ、食後にはよましめず、其精神をくるしむる事なかれ。半歳の後は、食後にも亦、読ましむべし。

凡書をよむには、いそがはしく、はやくよむべからず。詳緩(ゆるやか)に之を読て、字々句々、分明なるべし。一字をも誤るべからず。必心到、眼到、口到るべし。此三到の中、心到を先とす。心、此に在らず、見れどもみへず、心到らずして、みだりに口によめども、おぼえず。又、俄かに、しゐて暗によみおほえても、久しきを歴ればわする。只、心をとめて、多く遍数を誦すれば、自然に覚えて、久しく忘れず。遍数を計へて、熟読すべし。一書熟して後、又、一書をよむべし。聖経賢伝の益有る書の外、雑書を見るべからず。心を正しくし、行儀をつつしみ、妄にいはず、わらはず、妄に外に出入せず、みだりに動作せず、志を学に専一にすべし。つねに暇ををしみて、用もなきに、いたづらに隙をついや(費)すべからず。

小児の文学のおしえは、事しげくすべからず。事しげく、文句おほくして、むつかしければ、学間をくるしみて、うとんじきらふ心、出来る事あり。故に簡要をゑらび、事すくなく教ゆべし。すこしづつをしえ、よみならふ事をきらはずして、すきこのむやうにをしゆべし。むつかしく、辛労にして、其気を屈せしむべからず。日々のつとめの課程を、よきほどにみじかくさだめて、日々をこたりなくすすむべし。凡小児をおしゆるには、必師あるべし。若(もし)、外の師なくば、其父兄、みづから日々の課程を定めてよましむべし。父兄、辛労せざれば、をしえおこなはれず。

初て書を読には、まづ文句みじかくして、よみやすく、覚えやすき事を教ゆべし。初より文句長き事ををしゆれば、たいくつ(退屈)しやすし。やすきを先にし、難きを後にすべし。まづ孝弟、忠信、礼義、廉恥の字義をおしえ、五常、五倫、五教、三綱、三徳、三事、四端、七情、四勿、五事、六芸、両義、二気、三原、四時、四方、四徳、四民、五行、十干、十二支、五味、五色、五音、二十四気、十二月の異名、和名、四書、五経、三史の名目、本朝の六国史の名目、日本六十六州の名、其住せる国の郡の名、本朝の古の帝王の御謚、百官の名、もろこしの三皇、五帝、三王の御名、歴代の国号等を和漢名数の書にかきあつめをけるを、そらによみおぼえさすべし。又、鳥、獣、虫、魚、貝の類、草木の名を多く書集めて、よみ覚えしむべし。此外にもおぼえてよき事多し。そらに覚えざる事は、用にたたず。又、周南、召南の詩、蒙求の本文五百九十八句、性理字訓の本編、三字経、千字類合、千家詩などの句、みじかくおぼえやすき物ををしゆべし。右の名目に、編などを多くよみおぼえて後、経書ををしゆべし。初より文句長き、よみがたき経書を教えて、其気を屈せしむべからず。経書ををしゆるには、先孝経の首章、次に論語学而篇をよましめ、皆熟読して後、其要義をもあらあらとききかすべし。小学、四書は、最初よりよみにくし。故に先右に云所の、文句のみじかきものを多くよませて、次に小学をよませ、後に四書・五経をよましむべし。

凡書をよむには、はやく先をよむべからず。毎日返りよみを専(もっぱら)つとむべし。返りよみを数十遍つとめ、をはりて、其先をよむべし。しからずして、只はか(捗)ゆかん事をこのみて、かへりよみすくなければ、必わすれて、わがならひし功も、師の教へし功もすたりて、ひろく数十巻の書をよんでも益なし。一巻にても、よくおぼゆれば、学力となりて功用をなす。必よくおぼ(覚)ふべし。書をよんでも学すすまざるは、熟読せずして、おぼえざれば也。才性あれば、八歳より十四歳まで、七年の問に、小学、四書、五経等、皆読をはる。四書、五経熟読すれば、才力いでき、学間の本たつ。其ちからを以、やうやく年長じて、ひろく群書を見るべし。

小児に初て書を授くるには、文句を長くおしゆべからず。一句二句をしゆ。又、一度に多く授くべからず。多ければおぼえがたぐ、をぼえても堅固ならず。其上、厭倦んで学をきらふ。必たいくつせざるやうに、少づつ授くべし。其をしえやうは、はじめは、只一字二字三字つつ字をしらしむべし。其後一句づつをしゆべし。既に字をしり、句をおぼへば、小児をして自読しむべし。両句をおしゆるには、先一句をよみをぼえさせ、熟読せば、次の句を、又、右のごとくによましめ、既(に)熟読して、前句と後句と通読せしめてやむべし。此の如くする事、数日にして、後又、一両句づつ漸、に従て授くべし。其後授くるに、漸、字多ければ、分つて二三次となして、授け読しめ、其二三次、各熟読して、合せて通読せしむ。若(もし)、其中、おぼえがたき所あらば、其所ばかり、又、数遍よましむ。又、甚(だ)よみやすき所をば、わかちよむ時は、よむべからず。是(れ)功を省すの法なり。

書を読には、必句読を明にし、よみごゑを詳にし、清濁を分ち、訓点にあやまりなく、「てには」を精しくすべし。世俗の疎なる謬(あやまり)にしたがふべからず。

書をよむに、当時、略(ほぼ)熟誦しても、久しくよまざれば、必、忘る。故に書をよみおはつて後、すでによみたる書を、時々かへりよむべし。又、毎日前の三四五度に授かりたる所を、今日よみ習ふ所に通して、あとをよむべし。此如くすれば忘れず。

毎日一の善事を知り、一の善事を行なひて、小を積みてやまざれば、かならず大にいたる。日々の功をおこたり欠べからず。はじめは毎日、日記故事、蒙求の故事などの嘉言、善行を一両事づつ記すべし。又、毎日、数目ある事を二三条記すべし。一日に一事記すれば、一年には三百六十条なり。詩歌をよみおぼゆるも此法なり。一日に一首おぼゆれば、一年に三百六十首也。毎日誦して、日々、をこたるべからず、久きをつみては、其功大なり。

小児に初て書を説きかするに、文句みじかく、文義あさく、分明に、きこえやすく云きかすべし。小児に相応せざる、高く、ふかく、まはり遠く、むづかしく、ききにくき事を、おしゆべからず。又、ことば多く、長く、すべからず。言すくなくして、さとしやすくすべし。まづ孝経の首章、論語の学而篇を早く説きかすべし。是本(もと)をつとむるなり。小学の書をと(説)くには、義理を、あさくかろくとくべし。深く重く説べからず。是小児にをしゆる法也。

小児、読書の内に、はやく文義を所々教べし。孝経にていはば、仲尼とは孔子の字なり、字とは、成人して名づくる、かへ名也。子は師の事を云。曾子は孔子の弟子なり、参(しん)は曾子の名。先王は古の聖王の事。不敏は鈍なる事。又、論語の首章をよむ時は、学ぶとは学問するを云。習とは、学びたる事を、身につとめならふなり。悦ぶとは、をもしろきといふ意。楽(たのしむ)とは大きにおもしろき意也。かやうに読書のついでに、文義をおしゆれば、自然に、書を暁し得るものなり。

古語に、光陰箭の如く、時節流るるが如し。又曰、光陰惜むべし(と)。これを流水にたとふ、といへり。月日のはやき事、としどし(年々)にまさる。一たびゆきてかへらざる事、流水の如し。今年の今日の今時、再かへらず。なす事なくて、なをざりに時日をおくるは、身をいたづらになすなり。をしむべし。大禹は聖人なりしだに、なを寸陰をおしみ給へり。いはんや末世の凡人をや。聖人は尺壁(せきへき)をたうとばずして、寸陰をおしむ。ともいへり。少年の時は、記性つよくして、中年以後、数日におぼゆる事を、只一日・半日にもおぼえて、身をおはるまでわすれず。一生の宝となる。年老て後悔なからん事を思ひ、小児の時、時日をおしみて、いさみつとむべし。かやうにせば、後悔なかるべし。

書をよみ、学問する法、年わかく記憶つよき時、四書五経をつねに熟読し、遍数をいか程も多くかさねて、記誦すべし。小児の時にかぎらず、老年にいたりても、つねに循環してよむべし。是義理の学間の根本となるのみならず、又、文章を学ぶ法則となる。次に左伝を数十遍看読すべし。其益多し。是学問の要訣なり。しらずんばあるべからず。

小児の時、経書の内、とりわき孟子をよく熟誦すべし。是義理の学に益あるのみならず、文章を作る料なり。此書、文章の法則(てほん)となり、筆力を助く。朱子も、孟子も熟誦して文法をさとれりといへり。又、文章を作るためには、礼記の檀弓、周礼の考工記を誦読すべし。是等は皆古人の説なり。又、漢文の内数篇、韓・柳・欧・蘇・曾南豊等の文の内にて、心に叶へるを択びて、三十篇熟誦し、そらに書て忘れざるべし。作文の学、必此如くすべし。

四書を、毎日百字づつ百へん熟誦して、そらによみ、そらにかくべし。字のおき所、助字のあり所、ありしにたがはず、おぼへよむべし。是ほどの事、老らくのとしといへど、つとめてなしやすし。況、少年の人をや。四書をそらんぜば、其ちからにて義理に通じ、もろもろの書をよむ事やすからん。又、文章のつづき、文字のおきやう、助字のあり処をも、よくおぼえてしれらば、文章をかくにも、又助となりなん。かくの如く、四書をならひ覚えば、初学のつとめ、過半はすでに成れりと云べし。論語は一万二千七百字、孟子は三万四千六百八十五字、大学は経伝を合せて千八百五十一字、中庸は三千五百六十八字あり。四書すべて五万二千八百四字なり。一日に百字をよんでそらに記(おぼ)ゆれば、日かず五百廿八日におはる。十七月十八日なれば、一年半にはたらずして其功おはりぬ。はやく思ひ立て、かくの如くすべし。これにまされる学問のよき法なし。其れつとめやすくして、其功は甚だ大なり。わがともがら、わかき時、此良法をしらずして、むなしく過し、今八そぢになりて、年のつもりに、やうやう学びやうの道すこし心に思ひしれる故、今更悔甚し。又、尚書の内、純粋なる数篇、詩経、周易の全文、礼記九万九千字の内、其精要なる文字をゑらんで三万字、左伝の最(も)要用なる文を数万言、是も亦日課を定めて百遍熟読せば、文学におゐて、恐らくは世に類なかるべし。是学問の良法なり。

史は古をしるせるふみ也、記録の事なり。史書は、往古の迹をかんがへて、今日の鑑とする事なれば是亦経につぎて必よむべし。経書を学ぶいとまに和漢の史をよみ、古今に通ずべし。古書に通せざるは、くらくして用に達せず。日本の史は、日本紀以下六国史より、近代の野史に至るべし。野史も亦多し。ひろく見るべし。中夏の史は、左伝、史記、漢書以下なるべし。朱子綱目の書は、歴代を通貫し、世教をたすけて、天下万世に益あり。経伝の外、これに及べる好著は有べからず。此一書を出すしで、古の事に通じ、善悪を弁じ、天下国家をおさむる道理明かたり。まことに、世の主なり。学者是をこのんで玩覧すべし。殊に国家をおさむる人のかがみとなり、又、通鑑前編・続編をも見るべし。前編、伏犠より周まで、朱子綱目以前の事をしるせり。続編は宋元の事を記す。朱子綱目以後の事也。これにつづきて、皇明通記、皇明実記などを見れば、古今に貫通す。

小児の時より、学間のひまをおしみ、あだなるあそびをすべからず。手ならひ、書をよみ、芸をまなぶを以、あそびとすべし。かやうのつとめ、はじめは、おもしろからざれども、やうやくならひぬれば、のちはなぐさみとなりて、いたづ(煩)がはしからず。およそよろづの事は、皆いとまを用ひて出くるものなれば、いとま(暇)ほどの身のたからなし。四民ともに同じ。かほどの、おしむべき大せつたるいとまを、むなしくして、時日をつひやし、又は、用にもたたざる益なきわざをなし、無頼の小人にまじはり、ひまをおしまずして、いたづらに、なす事なくて月日をおくる人は、ついに才智もなく、芸能もなくして、何事も人におよばず、人にいやしめらる。少年の時は、気力も記憶もつよければ、ひまをおしみ、書をよみおくべし。此の如くすれば、身おはるまでわすれず、一代のたからとなる。年たけ、よはひ(齢)ふけぬれば、事おほくしてひまなく、、気カへりて記憶よはくなり、学問に苦労しても、しるし(験)すくなし。少年の時、此ことはりをよく心得て、ひまをおしみ、つとむべし。わかき時、おこたりて、年おいて後悔すべからず。此事、まへにもすでに云つれば、老のくせにて、同じことするは、きく人いとふべけれど、年わかき人に、よく心得させんため、かへすがへすつぐるなり。およその事、後のためよき事を、専(ら)につとむべし。はじめつとめざれば、必後の楽なし。又、後の悔たからん事をはかるべし。はじめにつつしまず、おこたりぬれば、必後の悔あり

小児の書をよむに、文字を多くおほえざれば、書をよむにちからなくして、学問すすまず。又、文字をしらざれば、すべて世間の事に通せず。芸などならふにも、文字をしらざれば、其理にくらくして、びが事おほし。文字をしれらば、又、其文義を心にかけて通じしるべし。

和俗童子訓 巻之三 終

巻之四 手習法

古人、書は心画なり、といへり。心画とは、心中にある事を、外にかぎ出す絵なり。故に手蹟の邪正にて、心の邪正あらはる。筆蹟にて心の内も見ゆれば、つつしみて正しくすぺし。むかし、柳公権も、心正ければ筆正しといへり。凡書は言をうつして言語にかへ用ひ、行事をしめして当世にほどこし、後代につたふる証跡なり。正しからずんばあるべからず。故に書の本意は、只、平正にして、よみやすきを宗とす。是第一に心を用ゆべき事也。あながちに巧にして、筆蹟のうるはしく、見所あるをむねとせず、もし正しからずしてよみがたく、世用に通ぜずんば、巧なりといへども用なし。黙れども、又いやしく拙きは用にかなはず。  凡字を書ならふには、真草共に先(まず)手本をゑらび、風体(ふうてい)を正しく定むべし。風体あしくば、筆跡よしといへども、なら(習)はしむぺからず。初学より、必風体すなをに、筆法正しき、古への能書の手跡をゑらんで、手本とすべし。悪筆と悪き風体をならひ、一度あしきくせつきては、一生なをらず。後、能書をならひても改まらず。日本人のよき手跡をならひ、世間通用に達せば、中華の書を学ばしむべし。しからざれぱ、手跡すすまず。唐筆をならふには、先(ず)草訣百韻、王義之が十七帖、王献之が鵞群帖、淳化法帖、王寵が千字文、文徴明が千字文、黄庭経などを学はしむべし。又、懐素が自叙帖、米元章が天馬賦などを学べば、筆力自由にはたらきてよし。

和流・から流共に、古代の能書の上筆を求めてならふべし。今時の俗筆をば、ならふべからず。手本あしければ、生れ付たる器用ありて、日々つとめまなびても、見ならふべき法なくして、手跡進まず。器用も、つとめも、むなしくなりて、一生悪筆にてをはる。わが国の人、近世手跡つたなきは、手習の法をしらざると、古代のよき手本をならわざる故也。

本朝にも、古代は能書多し。皆唐筆をまなべり。唐人も、日本人の手法をほめたり。中世以後、からの筆法をうしなへり。故に能書すくなし。あれども上代に及ばず。近代は弥(いよいよ)、俗流になりし故、時を逐(おい)て拙なくなる。凡文字は中華よりいで、真・行・草もからよりはじまる。日本流とてべつ(別)にあるべからず。から流の筆法にちがへるは、俗筆なり。同じくは、からの正流を、はじめよりならふべし。但(し)近世の、正しからざる唐筆をならへば、手跡ひがみ、よこしまにして、よみがたし。文盲たる人は、から流はよみがたしと云。それは、あレき風をならひたるを見ていへり。からの書は、真字を先(まず)ならひて、それにしたがひて行・草をかく。故に筆跡正し。日本流は、真字にしたがはず、字形をかざる故、多くは字画ちがひ、無理なる事多し。

真字は、ことに唐筆の正しき能書を、始より学ぶべし。和字(かな)も、いにしへの能書を始より学ぶべし。和字には中華(から)流あるべからず。真字には和流あるべからず。和流に真をかくと、から流に和字を書とは、皆ひが事也。此理をしらずして、今時から流にかなを書人あり。しかるべからず。草書には和流もあれども、から流にもとづかざるは俗流なり、正流にあらず。本朝上代の能書、三筆、三跡など、皆から流に本づけり。其後、世尊寺、清水谷など、能書の流を家流と云。是又、中華の筆法あるは、俗流にあらず。俗流をば学ぶぺからず。まことの筆法なし。近代の和流の内、尊円親王の真跡は、からの筆法あり。よのつねの俗流にまされり。真跡にあらざるは、からの筆法なし。習ふぺからず。真跡まれなり。其外、古の筆法をしらで、器用にまかせて書たる名筆、近世多し。世俗は賞翫すれども、古法をしらざるは、皆俗筆なり、学ぶぺからず。

小児、初て手習するには、先(ず)一二三四五六七八九十百千万億、次に天地、父母、五倫、五常、四端、七情、四民、陰陽五行、四時、四方、五穀、五味、五色などの名目の手本を、真字に書て、大に書習はしむべし。

「あいうゑを」五十字は、和音に通ずるに益あり。横縦によみ覚ふべし。かなづかひ、「てには」なども、これを以、しるべし。「いろは」の益なきにまされり。国字も、皆是にそなはれり。片かなは、をそくをしえ知らしむぺし。

凡文字を書ならふに、高く墨をとり、端正にすりて、すり口をゆがむべからず。手をけがす事なかれ。高く筆をとり、双鈎し、端正に字を書べし。双鈎とは、筆のとりやうなり。凡字を書に、一筆一画、平正分明にして、老草に書べからず。老草とは、平正ならず、わがままに、そさうにか(書)くを云。手本を能見て、ちがはざるやうに、しづかに学ぶべし。才にまかせ、達者ぶりして、老草にかけば、手跡あがらず。書を写しならふにも、平正にかくべし。常の書札などかくにも、手習と思ひて、つつしみて正しくかくべし。かくのごとくすれば、手跡進みやすし。手を習ふには、まづ筆の取やうをしるぺし。

双鈎とは、筆のもちやう也。大指と食指、中指の二指と対してはさむを云。食指一(つ)をかけてはさむをば、単鈎と云。単鈎は手かたまらずして、筆に力なし。故に双鈎をよしとす。日本流は、多くは単鈎を用ゆ。

双鈎の法は、まづ筆を大指と食指にてはさむに、大指のはらと食指の中節のわきに筆をあつぺし。此二指はちからを主どる。次に中指をかがめて、筆を指のとがりにつけ、筆をおさえ、次に無名指の外、爪と肉とのきはに筆をあて、上におさえあげて、中指と相対してさしはさみ、中指は外より内におさえ、無名指は内より外へをす、此二指は運動を主どる。大指と食指にて、上にてはさみたる筆を、又、中指と無名指を以て下にてはさみ、堅固にする也。次に小指は無名指の下かどにつらねて、無名指の力をたすく。筆の左にゆき右にゆく時、無名指をたすけて導き送る。筆をとる事、五指ともにあさきをよしとす。あさけれぱ力つよくして、はたらき自由なり。

虚円正緊は、筆をとる四法也。しらずんばあるべからず。虚とは指を掌にちかづけずして、掌の内を、空しくひろくするを云。あぶみの形の如くなるをよしとす。円とは、掌の外、手の甲をまるくして、かどなきを云。虚円の二は掌の形なり。正とは、筆をすぐにして、前後左右にかたよらざるを云。かくの如くならざれぜ、筆の鋒(さき)あらはれ、よこあたりあり。緊とは、筆をきびしくかたくとりて、やはらかならざるを云。上よりぬきとらりれるやうに取てよし。かくのごとくならざれば、筆に力なくしてよはし。正緊の二は筆の形なり。此四法は筆をとるならひ也。日本流の筆の取やうは、是にことなれり。単鈎にとりて、筆鋒をさきへ出し、やはらかにして、上よりぬき取をよしとす。

小児の時より、大字を多く書習へば、手、くつろぎはたらきてよし。小字を書で、大字をかかざれば、手、すくみてはたらかず。字を習に、紙をおしまず、大(おおい)に書べし。大に書ならへば、手はたらきて自由になり、又、年長じて後、大字を書によし。若、小字のみ書習へば、手腕すくみて、長じて後、大字をかく事成がたし。手ならふには、あしき筆にてかくべし。後に筆をゑらばずしてよし。もしよき筆にて書習へば、後あしき筆にて書く時、筆蹟あしく、時々よき紙にかくべし。あしき紙にのみ書ならへば、よき紙にかく時、手すくみて、はたらかず。

真字をかく法、大字はつづめて、小ならしめ、小字はのぺて大ならしめ、短字は長く、長字は短くすべし。横の筆画はほそきがよし。竪の筆画はあらきがよし。よこに二字合せて、一とする字はひろくすべからず。上下二字合て一字とする字は、長くすべからず。疏は密に、密は疏なるべし。骨多きに宣し。肉多によろしからず。皆是筆法のならひなり。

指を以て、筆をうごかす事なかれ。大字は肘をうごかし、小字は腕をうごかす。筆のはたらき自由なるべし。指は取事を主どり、肘腕はうごく事を主どる。指はうごかすべからず。

筆の取やう正しくして、筆さきの横にあたらざるやうに、筆鋒を正しく直(すぐ)にすべし。筆直に正しければ、筆の鋒あらはれずしてよし。筆がたぶけば、鋒あらはる。筆鋒のあたる所を、あらはれざるやうにかくすべし。左の筆をおこす所、ことにあらはれざるがよし。鳥のくちはしの如く、とがれるはあしし。又、右のかどに肩をあらはすぺからず。鋒はつねに画中にあらしむべし。是を蔵鋒と云。鋒を蔵(かく)すをよしとす。

入木(じゅぼく)ということ 筆鋒は紙につよくあたるべし、入木と云も此事也。

手をならふに、筆のはたらきの神彩(しんさい)を先とし、字の形を次とす。字のかたちよくとも、神彩なければよしとせず。

はじめは、一流をもは(専)ら習ふべし。後には、諸流のよきを取て、則とすべし。もはら一流を似すべからず。古人の一流に全く似たるをば、書奴(ぬ)と云ていやしむ。

筆ひたし過すべからず。又、かは(乾)かすべからず、硯は時々あらひ、新水をかへ用ひ、ほこりを去べし。墨をばやはらかにすり、筆をばつよくとるべし。故(に)墨は病夫にすらせ、筆は壮夫にとらしむと云。和流は、これにことなり、筆をやはらかにとる也。

手習の後は、物をかくに硯池(うみ)の水をそめず、新水を墨する所に入て、墨をすり、時にのぞみてそむべし。

筆に墨をそむる事、大字をかくにも三分にすぐべからず。ふかくひたせば、筆よはくして力なし。細字は、猶もみじかくそむべし。

筆をとるに、真書はぢく(軸)をひき(低)く、草は高くとる、行は共間なり。真一、行二、草三と云。

腕法三あり。枕腕(ちんわん)あり、提腕あり、懸腕あり。枕腕は、左の手を右の手の下に枕にさする也。是小字をかく法也。提腕は肘はつくゑにつけて、腕をあげてかく也。是中字をかく法也。懸腕は腕をあげて空中にかく也。是大字をかく法也。うでを下にさぐれば、はたらかず。是小字、中字、大字を書く三法なり。

字を学ぶには、必まづ真書を大文字に書習ふべし。内閣字府の七十二筆を先うつ(写)すべし。次に行草を習ふべし。凡字を書習ふには、真・行・草ともに、古人の能書を法とすべし。東坡が曰、「真は行を生じ、行は草を生ず。真は、人の立(たつ)がごとく、行は、人のゆくがごとく、草は、人の走るがごとし。いまだ不立して、能行(よくゆき)、能走るものはあらず。」といへり。是を以見るに、真は本也。草は末也。もろこしに先(まず)真書より学ばしむる故に、字画正してあやまりなし。倭俗は真字を学ばざる故に、文字をしらず、筆画に誤多し。真書を学はざれば、草書にもあやまり多し。本邦近代の先輩、さばかり能書の名を得たる人おほけれど、真書を不学ゆへ、其筆跡、真・草共に多くは誤字あり。証とするにたらず。世俗文盲なる人、真書を早く学べば、手腕(うで)すくむ、といふは誤也。是書法をしらざる人の公事也。初学より真書をよく書習ふべし。初学の時、真・草ともに小字のみ書て、大字を書ざれば、手すくみて、はたらかず。故に初て手ならふには、真・草ともに大に書べし。其後には、次第に細字をも書習ふべし。手のすくむと、はたらくとは、習字の大小にあり。真草によらず。

文字をかき、書を写すには、筆画を能弁(わきまえ)しりて誤なかるぺし。世俗の字をかくは、筆画に甚(だ)誤多し。心を用ひて筆画をしるべし。字画をしるには、説文を宗とし、玉篇の首巻、字彙の末巻、及(び)読字彙の内、字体弁徴、黄兀立が字考を以て誤を弁ずべし。字学にも亦、心を用ゆべし。

書状を書には、本邦の書礼の習あり。必書礼を学んで、其法に順ふべし。書礼を学びされば、文字をしる人も、誤る事多し。

唐流には、筆法のならひ、猶もこれあり。予、かつて諸書の内をかんがへ、からの筆法の諸説をあつめて一書をあらはせり。心画軌範と名づく一冊あり。和流には、筆法の伝授とて、字ごとに各々むつかしきならひあり。唐流には、すべての筆法の習はあれど、和流の如く、かかはりたる法はこれなし。

世間通用の文字を知るべし。書跡よくしても、文字をしらざれば用をなさず。天地、人物、人事、制度、器財、本朝の故実、鳥獣、虫魚、草木等の名、凡世界通用の文字をしるべし。世俗は通用の文字をしるに、順和名抄、節用集、下学集などを用ゆ。順和名抄は用ゆべき事多し。又あやまり多し。功過相半なり。節用集、下学集は誤多し。用ゆべからず。世俗是等の書を用ゆる故、誤多し。近年印行せし訓蒙図彙、和爾雅、倭字通例書、などをゑらび用ゆべし。今、世俗の通用する漢名・和名、あやまり甚(だ)多し。能ゑらんで書べし。

国字(かな)をかくに、かなづかひと、「てには」をしるぺし。かなづかひとは、音をかくに開合あり、開合とは字をとなふるに、口のひらくと合(あう)となり。和音五十字の内、あかさたな、はまやらわは開く音也。江・肴・豪、陽・唐、庚・耕、清・青の韻の字は皆開くなり。をこそとの、ほもよろおは合ふ音なり。東・冬、粛・零、蒸・登、尤・侯・幽の韻の字は皆合へる也。又、和訓の詞の字のかなづかひは、いゐ、をお、えゑ、の三音は、各二字づつ同音なれど、字により所によりて、いの字を用、ゐの字を用ゆるかはりあり。をお、と、えゑも亦同じ。又、はひふへほ、とかきて、わいうゑを、とよむは、和訓の詞(ことば)の字、中にあり、下にある時のかきやう、よみやうなり。是も和音五十字にて通ずる理あり、是皆かなづかひのならひ也。五十字によく通ずれば、其相通をしるなり。又「てには」とは、漢字にも和語にもあり。漢字・和語の本訓の外、つけ字を「てには」と云。「てには」と云は、本訓の外、つけ字に、ての字、にの字、はの字、多き故に名づく。又、「てにをは」とも云は、をの字も多ければなり。和字四十八字を、「いろは」と云が如し。学んで時にこれを習ふ、とよめば、ての字、にの字、をの字は、皆「てには」也。やまと歌は人の心をたねとしてよめば、はの字、をの字、ての字、皆「てには」也。又、和語の「てには」、上下相対するならひあり。ぞける、こそけれ、にけり、てけれ。是、上を「ぞ」といへば、下は「ける」と云、「花ぞちりける」と云べし。「花ぞちりけり」とは云べからず。上にて「こそ」といへば、下は「けれ」と云べし。上にてこそといはば、下にてけりと云べからず。にけり、てけれ、も、これを以しるべし。又わし、ぞき、と云は、上を「は」といへば、下は「し」と云、上を「ぞ」といへば、下は「き」と云。たとへば「かねのねはうし」、「かねのねぞうき」。此類を云。是皆「てには」のならひなり。かなづかひ開合と、「てには」をしらで、和文・和歌をかけば、ひが事おほくしてわらふぺし。

和俗童子訓 巻之四 終

巻之五 女子に教ゆる法

男子は外に出て、師にしたがひ、物をまなび、朋友にまじはり、世上の礼法を見聞するものなれば、をやのをしえのみにあらず。外にて見ききする事多し。女子はつねに内に居て、外にいでざれば、師友にしたがひて道をまなび、世上の礼儀を見ならふぺきやうなし。ひとへにおやのをしえを以、身をたつるものなれば、父母のをしえ、をこたるべからず。をやのをしえなくて、そだてぬる女は、礼儀をしらず。女の道にうとく、女徳をつつしまず、且女功のまなびなし。是皆父母の子を愛するみちをしらざればなり。  女子をそだつるも、はじめは、大やう男子とことなる事なし。女子は他家にゆきて、他人につかふるものなれば、ことさら不徳にては、しうと(舅)をつと(夫)の心にかなひがたし。いとけなくて、おひさき(生先)こもれるまど(窓)の内より、よくをしゆべき事にこそ侍べれ。不徳なる事あらば、はやくいましむべし。子をおもふ道にまよひ、愛におぼれ、姑息して、其悪き事をゆるし、其性(うまれつき)をそこなふぺからず。年にしたがひて、まづはやく、女徳をおしゆべし。女徳とは女の心さまの正しくして、善なるを云。およそ女は、かたちより、心のまされるこそ、めでたかるぺけれ。女徳をゑらばず、かたち(容)を本としてかしづくは、をにしへ今の世の、あしきならはしなり。いにしへのかしこき人はかたちのすぐれて見にくきいもきらはで、心ざまのすぐれたるをこそ、后妃にもかしづきそなへさせ給ひけれ。黄帝の妃ほ母(ほも)、斉の宣王の夫人無塩は、いづれも其かたちきはめてみにくかりしかど、女徳ありし故に、かしづき給ひ、君のたすけとなれりける。周の幽王の后、褒じ、漢の成帝の后、ちょう飛燕、其妹、しょうしょうよ、唐の玄宗の楊貴妃など、其かたちはすぐれたれど、女徳なかりしかば、皆天下のわざはひとなり、其身をもたもたず。諸葛孔明は、このんで醜婦をめとれりしが、色欲のまよひなくて、智も志もいよいよ清明なりしとかや。ここを以、婦人は心だによからんには、かたち見にくくとも、かしづきもてなすべきことはり(理)たれば、心さまを、ひとへにつつしみまもるべし。其上、かたちは生れ付たれば、いかに見にくしとても、変じがたし。心はあしきをあらためて、よきにうつ(移)さば、などかうつらざらん。いにしへ張華が女史の箴とて、女のいましめになれる文を作りしにも、「人みな、其かたちをかざる事をしりて、其性をかざる事をしる事なし。」といへり。性をかざるとは、む(生)まれつきのあしきをあらためて、よくせよとなり。かざるとは、いつはりかざるにはあらず。人の本性はもと善なれば、いとけなきより、よき道にならはば、なとかよき道にうつり、よき人とならざらんや。ここを以、いにしへ女子には女徳をもはら(専)にをしえしなり。女の徳は和・順の二をまもるべし。和(やわら)ぐとは、心を本として、かたち・ことばもにこやかに、うららかなるを云。順(したがう)とは人にしたがひて、そむかざるを云。女徳のなくて、和順ならざるは、はらきたなく、人をいかりの(罵)りて、心たけく、けしき(気色)けうとく、面はげしく、まなこおそろしく見いだし、人をながしめに見、ことばあららかに、物いひさがなく口ききて、人にさきだちてさか(賢)しらし、人をうらみかこち、わが身にほこり、人をそしりわらひ、われ、人にまさりがほなるは、すべておぞましくにく(憎)し、是皆、女徳にそむけり。ここを以、女は、ただ、和順にして貞信に、なさけふかく、かいひそめて、しづかなる心のおもむきならんこそ、あらまほしけれ。

婦人は、人につかふるもの也。家に居ては父母につかへ、人に嫁しては舅姑・夫につかふるゆへに、つつしみてそむかざるを道とす。もろこしの曾大家がことばにも、「敬順の道は婦人の大礼なり」といへり。黙れば女は、敬順の二をつねに。守るべし。敬とはつつしむ也。順はしたがふ也。つつしむとは、おそれてほしゐままならざるを云。つつしみにあらざれば、和順の道も行なひがたし。およそ女の道は順をたっとぶ、順のおこなはるるは、ひとへにつつしむよりをこれり。詩経に、「戦々とつつしみ、競々とおそれて、深き淵にのぞむが如く、薄き氷をふむが如し。」、といへるは、をそれつつしむ心を、かたどりていへり。つつしみておそるる心もち、かくのごとくなるべし。

女は、人につかふるものなれば、父の家、富貴なりとても、夫の家にゆきては、其おやの家にありし時より(も)、身をひき(低)くして、舅姑にへりくだり、つつしみつかへて、朝夕のつとめおこたるべからず。舅姑のために衣をぬひ、食をととのへ、わが家にては、夫につかへてたかぶらず。みづからきぬ(衣)をたたみ、席をはは(掃)き、食をととのへ、うみ・つむぎ、ぬい物し、子をそだてて、けがれをあらひ、婢おほくとも、万の事に、みづから辛労をこらへてつとむる、是婦人の職分なれば、わが位と身におうぜぬほど、引さがりつとむべし。かくの如くすれば、しうと、夫の心にかなひ、家人の心を得て、よく家をたもつ。又わが身にたかぶりて、人をさしつかひ、つとむべき事におこたりて、身を安楽におくは、しうとににくまれ、下人にそしられて、人の心をうしひ、其家をよくおさむる事なし。かかる人は、婦人の職分を失ひ、後のさいわひなし。つつしむべし。

いにしへ、天子より以下、男は外をおさめ、女は内をおさむ。王后以下、皆内政をつとめ行なひて、婦人の職分あり。今の世のならひ、富貴の家の婦女は、内をおさむるつとめうとく、お(織)り・ぬ(縫)ひのわざにおろそかなり。いにしへ、わが日の本にては、かけまくもかしこき天照大神も、みづから神衣をおりたまひ、斎服殿(いんはたどの)にましましける。其御妹稚日女尊(わかひるめのみこと)も亦しかり。是日本紀にしるせり。もろこしにて、王后みづから玄たんをおり給ふ。公侯の夫人、位貴しといへ共、皆、みづからぬをおれり。今の士、大夫の妻、安逸にほこりて、女功をつとめざるは、古法にはあらず。

女に四行あり。一に婦徳、二に婦言、三に婦容、四に婦功。此四は女のつとめ行なふべきわざ也。婦徳とは、心だてよきを云。心貞(ただ)しく、いさぎよく、和順なるを徳とす。婦言とは、ことばのよきを云。いつはれる事をいはず。ことばをゑらびていひ、にげ(似気)なき悪言をいたさず。いふべき時いひて、ふ用なる事をいはず。人其いふ事をきらはざる也。婦容とは、かたちのよきを云。あながちに、かざりをもはら(専)にせざれども、女は、かたち(容)なよよかにて、おおし(雄々)からず、よそほひのあてはかに、身もちきれいに、いさぎよく、衣服もあかづきけがれなき、是婦容なり。婦功とは、女のつとむべきわざなり。ぬひ物をし、う(紡)み・つむ(績)ぎをし、衣服をととのへて、もはら(専)つとむべきわざを事とし、たはぶれあそび・わらふ事をこのまず。食物、飲物をいさぎよくして、しうと・おつと・賓客にすすむる、是皆婦功なり。此四は女人の職分也。つとめずんばあるぺからず。心を用ひてつとめなば、たれもなるべきわざ也。おこたりすさみて、其職分をむなしくすべからず。

七歳より和字(かな)をならはしめ、又おとこもじ(漢字)をもたらはしむべし。淫思なきを古歌を多くよましめて、風雅の道をしらしむべし。是また男子のごとく、はじめは、数目ある句、みじかき事ども、あまたよみおぼえさせて後、孝経の首章、論語の学而篇、曹大家(そうだいこ)が女誡などをよましめ、孝・順・貞・潔の道をおしゆべし。十歳より外にいださず、閨門の内にのみ居て、おりぬひ、うみつむぐ、わざをならはしむべし。かりにも、淫佚(いんいつ)なる事をきかせ知らしむべからず。小歌、浄瑠璃、三線の類、淫声をこのめば、心をそこなふ。かやうの、いやしきたぶ(狂)れたる事を以て、女子の心をなぐさむるは、あしし。風雅なるよき事をならはしめて、心をなぐさむべし。此比(ころ)の婦人は、淫声を、このんで女子にをしゆ。是甚(だ)風俗・心術をそこなふ。いとけなき時、悪き事を見聞・習ては、早くうつりやすし。女子に見せしむる草紙も、ゑらぶべし。いにしへの事、しるせるふみの類は害なし。聖賢の正しき道をおしえずして、ざれ(戯)ばみたる小うた、浄瑠璃本など見せしむる事なかれ。又、伊勢物語、源氏物語など、其詞は風雅なれど、かやうの淫俗の事をしるせるふみを、はやく見せしむべからず。又、女子も、物を正しくかき、算数をならぶべし。物かき・算をしらざれば、家の事をしるし、財をはかる事あたはず。必これをおしゆべし。

婦人には、三従の道あり。凡婦人は、柔和にして、人にしたがふを道とす。わが心にまかせて行なふぺからず。故に三従の道と云事あり。是亦、女子にをしゆべし。父の家にありては父にしたがひ、夫の家にゆきては夫にしたがひ、夫死しては子にしたがふを三従といふ。三のしたがふ也。いとけなきより、身をおはるまで、わがままに事を行なふべからず。必人にしたがひてなすべし。父の家にありても、夫の家にゆきても、つねに閨門の内に居て、外にいでず。嫁して後は、父の家にゆく事もまれなるぺし。いはんや、他の家には、やむ事を得ざるにあらずんば、かるがるしくゆくべからず。只、使をつかはして、音聞(いんぶん)をかよはし、したしみをなすべし。其つとむる所は、しうと、夫につかへ、衣服をこしらへ、飲食をととのへ、内をおさめて、家をよくたもつを以、わざとす。わが身にほこり、かしこ(賢)だてにて、外事にあづかる事、ゆめゆめあるぺからず。夫をしのぎて物をいひ、事をほしいままにふるまふべからず。是皆、女のいましむべき事なり。詩経の詩に、「彼(かしこ)にあっても悪(にく)まるる事なく、ここにあつてもいと(厭)はるる事なし。」といへり。婦人の身をたもつは、つねにつつしみて、かくの如くなるぺし。

婦人に七去とて、あしき事七あり。一にてもあれば、夫より逐(おい)去らるる理たり。故に是を七去と云。是古の法なり。女子にをしえきかすぺし。一には父母にしたがはざるは去。二に子なければさる。三に淫なればさる。四に嫉めばさる。五に悪疾(あしきやまい)あればさる。六に多言なればさる。七に窃盗(ぬすみ)すればさる。此七の内、子なきは生れ付たり。悪疾はやまひなり。是二は天命にて、ちからに及ばざる事なれば、婦(ふ)のとがにあらず。其余の五は、皆わが心よりいづるとがなれば、つつしみて其悪をやめ、善にうつりて、夫に去(さら)れざるやうに用心すべし。およそ人のかたちは、むまれ付たれば、あらためがたかるべけれ。心は変ずる理(ことわり)あれば、わが心だに用ひなは、などか、おろかなるより、かしこきにも、うっ(移)さばうっらざらん。黙れば、わがあしきむまれ付をしりて、ちからを用ひ、あしきをあらためて、よきにうつるべし。此五の内、。したまづ父母に順がはざると、夫の家にありて、。しうと、しうとめにしたがはざるは、婦人第一の悪なり。しかれば夫の去は、ことはりなり。次に妻をめとるは、子孫相続のためなれぱ、子なけれぱさるもむべ也。されど其婦の心和(やわら)かに、行ひ正しくて、嫉妬の心なく、婦の道にそむかずして、夫・しうとの心にかなひなば、夫の家族・同姓の子を養ひ、家をつがしめて、婦を出すに及ばず。或又、妾に子あらば、妻に子なくとも去に及ぶべからず。次に淫乱なるは、わが夫にそむき、他の男に心をかよはす也。婦女は万の事いみじくとも、穢行(えこう)だにあらば、何事のよきも見るにたらず。是女の、かたく心にいましめ、つつしむべき事なり。妬めば夫をうらみ、妾をいかり、家の内みだれてをさまらず。又、高家には婢妾多くして、よつぎ(世嗣)をひろむる道もあれぱ、ねためぱ子孫繁昌の妨となりて、家の大なる害なれば、これをさるもむべ也。多言は、口がましきなり。ことば多く、物いひさがなければ、父子、兄弟、親戚の間も云さまたげ、不和になりて、家みだるるもの也。古き文にも、「婦に長舌あるは、是乱の階(はし)なり。」といへり。女の口のき(利)きたるは、国家のみだるる基となる。といふ意なり。又、尚書に、「牝鶏の晨(あした)するは、家の索(さびしくなる)也。」と云へり。鶏のめどり(牝鶏)の、時うたふは、家のおとろふるわざはいとなるがごとく、女の、男子の如く物いふ事を用るは、家のみだれとなる。凡家の乱(みだれ)は、多くは婦人よりをこる。婦人の禍は、必口よりいづ。戒むべし。窃盗とは、物ぬすみする也。夫の財をぬすみてみづから用ひ、或わが父母、兄弟、他人にあた(与)ふる也。もし用ゆべく、あたふべき事あらば、しうと・夫にとひ、命をうけて用ゆべし。しかるに夫の財をひめて、わが身に私し、人にあたへば、其家の賊なれば、これをさるもむべなり。女は此七去の内、五をおそれつつしみて、其家を出ざらんこそ、女の道もたち、身のさいはひともなるべけれ。一たび嫁して、其家を出され、たとひ他の富貴なる夫に嫁すとも、女の道にたがひぬれぱ、本意にあらず。幸とは云がたし。もし夫不徳にして、家、貧賎なりとも、夫の幸なきは、婦の幸なきなれば、天命のさだまれるにこそと思ひて、うれふべからず。

凡女子を愛し過して、ほしゐままにそだてぬれぱ、おっとの家にゆきて、必おご(驕)りおこたりて、他人の気にあはず、つゐには、しうとにとうまれ、夫にすさめられ、夫婦不和になり、おひ出され、はぢをさらすものおほし。女子の父母、わがをしえなき事をはぢずして、しうと、をつとのあしきとのみ思ふ事、おろか也。父母のをしえ、なかりし女子は、おつとの家にゆき、しうとのをしえ正しければ、せはらしく、たえがたくおもひて、しうとをうらみそしり、中あしくなる。おやの家にて、おしえなければ、かくの如し。

女子には、はやく女功をおしゆべし。女功とは、をりぬひ、うみつむぎ、すすぎいうあらひ、又は食をととのふるわざを云。女人は外事なし。かやうの女功をつとむるを以、しわざとす。ことにぬひものするわざを、よくならはしむぺし。はやく女のわざをおしえざれば、おつとの家に行て、わざをつとむる事たらず、人にそしられ、わらはるるもの也。父母となれる者、心を用ゆべし。

凡女子は、家にありては、父母につかへ、夫に嫁しては、しうと・おっとに、したしくなれちかづきて、つかふるものなれば、其身をきよくして、けがらはしくすべからず。是又、女子のつとむべきわざたり。

父母となる者、女子のいとけなきより、男女の別を正しくし、行儀を、かたくいましめをしゆべし。父母のをしへなく、たはれたる行(おこない)あれば、一生の身をいたづらにすて、名をけがし、父母・兄弟にはぢをあたへ、見きく人につまはじきをせられん事こそ、口をしくあさましきわざなれ。よろづいみじくとも、ちり(塵)ばかりもかかる事あらば、玉の盃のそこなきにもをと(劣)りなん。俗のことわざに、万能一心といへるも、かかる事なり。ここを以て、女は心ひとつを貞(ただ)しく潔(いさぎよ)くして、いカなる変にあひて、たとひいのちを失なふとも、節義をかたく守るこそ、此生後の世までのめいぽく(面目)ならめ。つねに心づかひをして、身をまもる事、かた(堅)きにすぎたらんほどは、よかるべし。人にむかひ、やはらかに、ざればみて、かろ(軽)らかなるは、必節義をうしなひ、あやまち(過)の出くるもとい(基)なリ。和順を女徳とすると、たはれの心のわうらかにして、まもりなく、かろ(軽)びたると、其すぢかはれる事、云に及ばず。古人は兄弟といへど、幼(いとけなき)より男女、席(むしろ)を同じくせず、夫の衣桁に、妻の衣服をかけず、衣服も夫婦同じ器にをさめず、衣裳をも通用せず、ゆあみ(沐浴)する所もことなり。是夫婦すら別(わかち)を正しくする也。いはんや、夫婦ならざる男女は、云に及ばず。男女の分、内外の別を正しくするは、古の道なり。

いにしへ、女子の嫁する時、其母、中門まで送りて、いましめて曰、「なんぢが家にゆきて、必つつしみ、必戒めて、夫の心にそむく事なかれ。」といへり。是古の、女子の嫁する時、をやのをしゆる礼法なり。女子の父母、よく此理を云きかせ、いましむべし。女子も又、よく此理を心得て、まもり行なふべし。

又女子の嫁する時、かねてより父母のをしゆべき事十三条あり。一に曰、わが家にありては、わが父母にもはら(専)孝を行たふ理たり。されども夫の家にゆきては、もはらしうと・しうとめを、吾二をや(親)よりも、猶おもんじて、あつく愛み敬ひ、孝行をつくすべし。をやの方をおもんじ、しうとの方をかろんずる事なかれ。しうとのかた(方)に、朝夕の見まひを、か(欠)くべからず。しうとのかたの、つとむべきわざ、をこたるべからず。若、しうとの命(おおせ)あらば、つつしみ行なひて、そむくべからず。凡の事、しうと、しうとめにとひて、そのをしえにまかすべし。しうと、しうとめ、もし我を愛せずして、そしりにくむとも、いかりうらむる事なかれ。孝をつくして、誠を以感ぜしむれば、彼も亦人心あれば、後は必心やはらぎて、いつくしみある理なり。二に曰、婦人別に主君なし。夫をまことに主君と思ひて、うやまひつつしみて、つかふぺし。かろしめ、あなどるべからず。やはらぎしたがひて、其心にたがふべからず。凡婦人の道は、人にしたがふにあり。夫に対するに、顔色・ことばづかひ、ゐんぎん(慇懃)にへりくだり、和順なるべし。いぶ(燻)りにして、不順なるべからず。おごりて無礼なるべからず、是女子第一のつとめたり。夫のおしえ、いましめあらば、其命にそむくべからず。うたがはしき事は、夫にとひて其命をうくべし。夫とふ事あらば、ことわりただしくこたふべし。其いらへ、おろそかにすべからず。こたへの正しからず、其理きこえざるは、無礼なり。夫もしいかりせむる事あらば、をそれてしたがふべし。いかりあらそひて、其心にさか(逆)ふべからず。それ婦人は夫を以天とす。夫をあなどる事、かへすがへす、あるぺからず、夫をあなどりそむきて、夫より、いかりせめらるるにいたるは、是婦人の不徳のはなはだしきにて、大なるはぢ也。故に女は、つねに夫をうやまひ、おそれて、つつしみつかふべし。夫にいやしめられ、せめらるるは、わが心より出たるはぢ(恥)也。三に曰、こじうと・こじうとめは、夫の兄弟なれば、たさけふかくすべし。又こじうと・こじうとめに、そしられ、にくまるれば、しうとの心にそむきて、わが身のためにもよからず。むつましく和睦すれば、しうとの心にかなふ。しかればこじうとの心も亦、失なふべからず。又あひよめ(相嫁)をしたしみ、むつまじくすべし。ことさら夫の兄、兄よめは、あつくうやまふべし。

あによめ(嫂)をば、わがあねと同じくすぺし。座につくも、道をゆくも、へりくだり、をくれてゆくべし。四に曰、嫉妬の心、ゆくゆくをこ(起)すべからず。夫婬行あらば、いさむべし。いかりうらむべからず。嫉妬はなはだしければ、其けしき(気色)・ことばもおそろしく、すさまじくして、かへりて、夫にうとまれ、すさめらるるものなり。業平の妻の、「夜半にや君がひとり行らん」とよみしこそ、誠に女の道にかなひて、やさしく聞ゆめれ。およそ、婦人の心たけく、いかり多きは、しうと、をつとにうとまれ、家人にそしられて、家をみだし、人をそこなふ。女の道におゐて、大にそむけり。はらたつ事あらば、おさへてしのぶべし。色にあらはすべからず。女は物ねんじ(憂さ・つらさを忍び堪えること)して、心のどかなる人こそ、さいはい(福)も見はつる理なれ。五に曰、夫もし不義あり、あやまちあらば、わが色をやはらげ、声をよろこばしめ、気をへり下りていさむぺし。いさめをきかずして、いからば、先(まず)しばらくやめて、後に、おつとの心やはらぎたる時、又いさむべし。夫不義なりとも、顔色をはげしくし、声をいららげ、心気をあらくして、夫にさからひ、そむく事なかれ。是又、婦女の敬順の道にそむくのみならず、夫にうとまるるわざなり。六に曰、ことばをつつしみて、多くすべからず。かりにも人をそしり、いつはりを云べからず。人のそしリをきく事あらば、心にをさめて、人につたへかたるべからず。そしりを云つたふるより、父子、兄弟、夫婦、一家の間も不和になり、家内をさまらず。七に曰、女は、つねに心づかひして、その身をかたくつつしみまもるべし。つとにをき、夜わにいね、ひるはいねずして、家事に心を用ひ、おこたりなくつとめて、家をおさめ、をりぬひ、うみつむぎ、をこたるべからず。又、酒・茶など多くこのみて、くせ(癖)とすべからず。淫声をきく事をこのみて、淫楽をならふべからず。是女子の心を、とらかすものなり。たはぶれあそびをこのむべからず。宮寺など、すべて人の多くあそぷ所に、四十歳より内は、みだりにゆくべからず。八に曰、巫・かんなぎなどのわざにまよひて、神仏をけがし、ちかづき、みだりにいのり、へつらふぺからず。只、人間のつとめをもはらになすべし。

目に見えぬ鬼神(おにかみ)のかたに、心をまよはすべからず。九に曰、人の妻となりては、其家をよくたもつべし。妻の行あしく、放逸なれば、家をやぶる。財を用るに、倹約にして、ついえをなすべからず。をご(奢)りをいましむべし。衣服、飲食、器物など、其分にしたがひて、あひにあひ(相似合)たるを用ゆべし。みだりに、かざりをなし、分限にすぎるを、このむべからず。妻をごりて財をついやせば、其家、必貧窮にくるしめり。夫たるもの、是にうちまかせて、其是非を察せざるは、おろかなりと云べし。十に曰、わかき時は、夫の兄弟、親戚、朋友、或下部などのわかき男来らんに、なづさ(なれ)ひちかづきて、まつはれ、打とけ、物がたりすぺからず。つつしみて、男女のへだてをかたくすべし。いかなるとみ(曰)の用ありとも、わかき男に、ふみ(文)などかよはする事は、必あるべからず。しもべを閨門の内に入(いる)べからず。凡男女のへだて、かるがるしからず。身をかたくつつしむべし。十一に曰、身のかざりも、衣服のそめいろ、もやう(模様)も、目にたたざるをよしとす。身と衣服とのけがれずして、きよ(清)げなるはよし。衣服と身のかざりに、すぐれてきよらをこのみ、人の目にたっほどなるは、あしし。衣服のもやうは、其年よりはくすみて、をい(老)らかなるが、じんじやう(尋常)にして、らうたく(上臈らしく)見ゆ。すぐれてはなやかに、大なるもやうは、目にたちていやし。わが家の分限にすぎて、衣服にきよらをこのみ、身をかざるべからず。只わが身にかなひ、似合たる衣服をきるべし。心は身の主也。たうとぶべし。衣服は身の外にある物なり、かろし。衣服をかざりて、人にほこるは、衣服よりたうとぶぺき、其心をうしな(失)へるなり。凡そ人は、其心ざま、身のふるまひをこそ、よく、いさぎよくせまほしけれ。身のかざりは外の事たれば、只、身に応じたる衣服を用ひて、あながちにかざりて、外にかがやかし、人にほこるぺからず。おろかなる俗人、又、いやしきしもべ、しづの女などに、衣服のはなやかなるをほめられたりとも、益なし。よき人は、かへりて、そしりいやしむぺきわざにこそあれ。

十二に曰、わが里のをやの方にわたくしし、わがしうと、しうとめ、をつとの方をつぎにすべからず。正月佳節などにも、まづおつとのかたの客をつとめて、をやの里には、つぎの日ゆきて、まみゆべし。夫のかたをすてて、佳節に、わがをやの里に、ゆくべからず。しうと・をつとのゆるさざるに、父母・兄弟のかたにゆくべからず。わたくしに、をやの方にをくり(贈)物すべからず。又、わが里のよき事をほこりて、ほめかたるべからず。十三に曰、下女をつかふに、心を用ゆべし。いふかひなきものは、ならはしあしくて、ちゑなく、心かだましく、其上、ものいふ事さがなし。夫の事、しうと・しうとめ・こじうとの事など、わが心にあはぬ事あれば、みだりに其主にそしりきかせて、それをかへりて忠とおもへり。婦人もし、ちゑなくして、それを信じては、かならずうらみ出来やすし。もとより夫の家は、皆他人なれば、うらみそむき、恩愛をすつる事やすし。つつしんで、下女のことばを信じ、大せつなる、しうと・小じうとの、したしみをうすくすべからず。もし、下女すぐれてかだましく、口がましくて、あしきものならば、はやくおひやるぺし。かやうのものは、かならず家道をみたし、親戚の中をも、いひ妨ぐるもの也。をそるべし。又、下女などの、人をそしるを、きき用ゆる事なかれ。殊に、夫のかたの一類の事を、かりそめにも、そしらしむべからず。下女の口を信じては、しうと、しうとめ、夫、こじうと、などに和睦なくして、うらみそむくにいたる。つつしんで讒を信ずべからず。甚(だ)をそるべし。又、いやしきものをつかふには、我が思ふにかなはぬ事のみ多し。それを、いかりの(罵)りてやまざれば、せはしくはらだつ事おほくして、家の内しづかならず。あしき事は、時々いひをしえて、あやまりを正すべし。いかりの(罵)るべからず。すこしのあやまちは、こらえていかるべからず。心の内には、あはれみふかくして、外には行儀かたく、いましめてをこたらざるやうにつかふべし。いるかせなれば、必行儀みだれ、をこたりがちにて、礼儀をそむき、とがをおかすにいたる。あたへめぐむべぎ事あらば、財をおしむべからず。但わが気に入たるとて、忠なきものに、みだりに財物をあたふぺからず。

○凡此十三条を、女子のいまだ嫁せざるまへに、よくをしゆぺし。又、かきつけてあたへ、おりおりよましめ、わするる事なく、是を守らしむべし。凡世人の、女子を嫁せしむるに、必其家の分限にすぎて、甚(だ)をごり、花美をなし、おほくの財をついやし用ひ、衣服・器物などを、いくらもかひととのへ、其余の饗応贈答のついえも、又、おびただし。是世のならはし也。されど女子をいましめをしえて、其身をつつしみおさめしむる事、衣服・器物をかざれるより、女子のため、甚(だ)利益ある事をしらず。いとけなき時より、嫁して後にいたるまで、何の教もなくて、只、其むまれつきにまかせぬれば、身をつつしみ、家をおさむる道をしらず。おつとの家にゆきて、をごりをこたり、しうと、をつとにしたがはずして、人にうとまれ、夫婦和順ならず。或不義淫行もありて、おひ出さるる事、世に多し。是をや(親)のをしえなきがゆへなり。古語に、「人よく百万銭を出して、女を嫁せしむる事をしりて、十万銭を出して、子をおしゆる事をしらず。」といへるがごとし。婚嫁の営(いとなみ)に、心をつくす十分が一の、心づかひを以て、女子をおしえいましめば、女子の身をあしく持なし、わざはひにいたらざるべきに、かくの如くなるは、子を愛する道をしらざるが故也。

婦人は夫の家を以、家とする故に、嫁するを帰るといふ。云意(いうこころ)は、わが家にかへる也。夫の家を、わが家として帰る故、一たぴゆきてかへらざるは、さだまれる理なり。されど不徳にして、しうと、をつとにそむき、和順ならざれば、夫にすさめられ、しうとににくまれ、父の家に、おひかへさるるのわざはひあり。婦人のはづべき事、是に過たるはなし。もしくは、夫柔和にして、婦の不順をこらへて、かへさざれども、かへさるべきとがあり。されば、人をゆるすべくして、人のためにゆるさるるは本意にあらず。

をよそ婦人の、心ざまのあしき病は、和順ならざると、いかりうらむると、人をそしると、物ねたむと、不智なるとにあり。凡此五の病は、婦人に十人に七八は必あり。是婦人の男子に及ばざる所也。みづからかへり見、いましめて、あらため去べし。此五の病の内にて、ことさら不知をおもしとす。不知なる故に、五の病をこる。婦女は、陰性なり、陰は夜に属してくらし。故に女子は男子にくらぶるに、智すくなくして、目の前なる、しかるべき理をもしらず。又、人のそしるべき事をわきまへず。わが身、わが夫、わが子の、わざはひとなるべき事をしらず。つみもなき人をうらみいかり、あるは、のろ(呪)ひとこ(詛)ひ、人をにくみて、わが身ひとりたてんと思へど、人ににくまれ、うとまれて、皆わが身のあだ(仇)となる事をしらず。いとはかなく(果敢)あさまし。子を愛すといへど、姑息し、義方のおしえをしらず。私愛ふかくして、かへりて子をそこなふ。かくおろかなるゆへ、年すでに長じて後は、よき道を以、をしえ、さとらしめがたし。只、其はなはだしきをおさへ、いましむべし。事ごとに道理を以、せめがたし。故に女子は、ことにいとけなき時より、はやくよき道をおしえ、あしきわざをいましめ、ならはしむべからず。

宝永七庚寅年初夏日
筑前州 益軒貝原篤信撰
和俗童子訓 巻之五 終