貝原益軒 花譜、菜譜
貝原益軒は、「養生訓」、「和俗童子訓」の著者であるだけでなく、歴史学者、地理学者として広く国中を見て回って「筑前国続風土記」を書き、博物学者として路傍の雑草、虫や小川の魚まで詳細に観察し「大和本草」に記述している。益軒はさらに、自宅の庭で花や野菜の栽培を実践していたことも知られている。著書「花譜」と「菜譜」はこのような経験に基づいて肥料の与え方や移植の時期に至るまで植物の栽培方法について詳細に記載したものである。
植物についての益軒の著述は寛文12年(1672)に「校正本草綱目」の翻刻がなされたときに、その5巻に「品目」「名物付録」を執筆したのに始まる。この頃から自宅で植物栽培を行ってきたと考えられる。元禄7年(1694)には「花譜」が、宝永元年(1704)には「菜譜」が発行された。「大和本草」の刊行はこれに続く宝永6年(1709)のことである。「花譜」と「菜譜」は「大和本草」とともに、300年前にどのような花が植えられ、どのような野菜が栽培されていたかを示す重要な文献である。益軒は農業に興味を持ち、日本最初の農業書と言われる宮崎安貞(筑前国糸島郡女原村)の「農業全書」(1697)の完成に大きく関わっている。
「花譜」「菜譜」の両者は、明治43年発行の「益軒全集」第1巻からイメージとして取り込み、PDF形式で提供することにした。